「暴く」就活への疑問と、「見抜く」ことの限界。
昨日こんなニュースを目にした。
採用前に企業が就活生の「裏アカ」調査、たった数十分で特定も 過激投稿の“無法地帯”を見て人格把握
企業に依頼されたSNS調査会社が、履歴書情報などから学生の裏アカを探って特定し、誹謗中傷・差別発言など問題ある言動の有無を評価し報告するというものだ。
記事へのコメントや関連ツイートも読んだが、会社や応募者を「見抜く」「暴く」ことってどこまで必要なんだっけ?と思い返した。
会社の正体を暴きたい学生の話
先程の記事から、数年前の新卒採用で私がかかわった学生さんのことを思い出した。(仮にSさんとします)
Sさんはコミュニケーション良好、学部は情報系で成績もよく、サークルもバイトもよくこなす印象のよい女子学生さんだった。内定も4社ほど持っていた記憶がある。
しかしよほど迷っていたのか、すごい量の質問をしてきた。
私「たくさん質問をしてくれてうれしいです。
内定持っている会社さんと、うちも含めて、何を決め手にしていますか」
Sさん「私、とにかくブラックなところに入りたくないんです」
私「入ってからギャップが生まれるのはどうしてもいやですもんね。でも、どうやってブラックかどうか見極められるんですか?」
Sさん「質問して矛盾がないかとか、疑わしくないかとかですかね。あと口コミサイトもしっかり見ます。入ってから後悔したくないから、その会社の正体を暴きたいって思うんですよ」
その時私が上手く返せたか、記憶はない。
ただ、その後彼女の採用は見送った。
彼女に当時いた会社がどう思われたかわからない。
ただ率直に、会社の正体を「暴きたい」彼女と一緒に働ける自信は私には無かった。
面接は「見抜く」場なのか?
少し話はそれるが、先日「六人の嘘つきな大学生」という小説を読んだ。※以下ネタバレを含みます
新進気鋭のメガベンチャーの最終面接に残った6人の候補者が、「6人から1人内定者を選ぶ」という選考に臨む。その中何者かわからない「犯人」が残した文書により候補者の悪事が次々と晒されて極限状態に置かれる…という、就活ミステリー小説である。
本作の終盤で犯人の正体はわかるのだが、犯人はこのように述べている。
学生からすると、就活は自分を肯定される場に見え、あるいは否定される場に見える。そして、企業の採用担当は「見抜ける」と思われているかもしれない。
これはあくまで私の感想だが「見抜ける」などということは全くない。
1時間の面接×数回で、その人は見抜けない。なんなら見抜こうとも思っていない。
作中の人事部長もこう話している。
当該の人事部長も見抜くことはできず、現代の就活のシステムへの嘆きや、なぜ先の選考方法を取ったかについて作中で話していくことになる。
さて以下は私見だが、なぜ見抜けなくていいと思っているのか、少し述べて行きたい。
そもそも、社会は「人と企業の表側」で成り立っている
先般のニュース、Sさんの話、6人〜の小説全てに言える話だと思うが、人や企業の表面しか見えないのはやっぱり不安なんだと思う。
その気持ちもわかる。だから口コミサイトで選考の感想も、企業の評判もあんなに見られるんだし。
一方で企業の採用担当をやってる私も、応募者についての情報はできる限りキャッチすることを心がけている。
SNSも本人名のものがあれば軽く読むし、ポートフォリオもあれば見る。
けれど、その「表に出ている分」で、じゅうぶんなのだ。
いざ企業に入ったって、経営層以外の従業員は企業の表も裏も知ることは無いだろう。社内だって機密事項だらけだ。
企業側にしてもそうだ。従業員一人一人の裏の面まで全てに気を配り監視できるほど、管理者は暇ではない。
まして仕事は人の「表面」でやるものだ。
顧客や取引先に対して見せるサービスやプロダクト、メール1通だって、表面に出せるスキルや姿勢から成っているのだから。彼らに社員の裏面がどうであっても、あまり関係ない。
もちろん、「表面がよいものであれば裏はなんでもいいか」と言いたいのではない。
企業だって不正もハラスメントも当然ながら行ってはいけないし、応募者にしても誰に見つかるかわからないネットの海で不用意なことは言わない方がいい。
リスクが表面に出ることは、すべきでは無いに決まっている。
人と協調し、感謝し、スキルを磨き、そうして表にいいもの(≒成果)を出していく。
腹の底で何を思おうと別にいい。
それをやるのが社会人なんだと思う。
だから明日も私は「応募者が何を表に出したいのか」理解するために対話と勉強を続けたいと、そう思う。
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