片親育ちがなんだ
読んでいて、こんなに胸がチクチクしたnoteは初めてだった。
内容はもちろん、考えすぎかもしれないけど、公開日が自分の誕生日なこともあり、なんだか「感じるもの」が多い記事だった。
過去の記事にも何度か書いているので知ってる人もいると思うが、わたしは小学1年生の頃から6年生になる春頃まで、父親に育てられた片親育ちだ。
社会にはどこか、
離婚=子供がかわいそう
片親育ち=品がない
そんな方程式が成り立っているように感じる。
確かに6歳だか7歳だかのときに突然「片親育ち組」の一員になり、父が父親兼母親になったことで、困ったことや大変だったことはたくさんあった。
毎朝母親に結んでもらっていたお気に入りの長い髪は、父が不器用すぎて結べないためショートになり、バレンタインの友チョコ交換という父親側の片親育ちにとって地獄のような祭りの時には、おかし作りとは無縁すぎる父と試行錯誤しながら最低限食べられるものを作り、初めて生理が来たときは、もはや知り合いのお母さんが下着を用意してくれた。
娘は娘なりに片親育ちで大変なことを乗り越えていたつもりだったけど、本当の苦行が始まったのは、わたしに新しい母ができたときからだった。
6年生のとき、突然母と姉と妹ができた。
実姉と10年ほど二人姉妹だったが、3人で住むには広すぎる3階建ての一軒家に家族が増えたことは単純に嬉しかった。
最初はお互い気を遣って過ごしていたが、人間とは怖いもので、慣れ始めると初心をすっかり忘れてしまう。中学生に上がる頃には、母とわたしの関係は、切っても切れない縁ならぬ、引っ付けても引っ付かない磁石のような縁になっていた。
新しい母親は、基本的に「自分の産んだ娘」と「旦那の前の嫁が産んだ娘」で分けて接するタイプだった。わたしは後者に当たるわけなので、送り迎えをなかなかしてもらえない、お昼ご飯代がもらえない、陰口なんて日常茶飯事、そんな生活だった。
当時この話を学校の先生や友達にすると、「なんでお父さんに言わないの?」と言われた。だけど、周りに何度言われても、わたしは父に相談することは滅多になかったと思う。
わたしが父に言わなかったのは、わたしが父親に話すことで、父が母にその件について話すことがわかっていたから。そしてそこから二人の間で喧嘩が勃発することがわかっていたから。
男手一つで苦労もありながらわたしと姉を育て上げ、やっと手に入れた「母親」なのだ。もう母親という役割を担う必要がなくなり、父親という役割に没頭できるようになったのだ。そんな父に迷惑をかけるわけにはいかない、責任を感じさせるわけにはいかないという、子供ながらに最大限配慮した結果だった。
中学校3年生になる頃には、父親には「再婚相手間違えたな」と言われるようになり、確実に誰もハッピーではなかった。今思えば、あのときに父に「起こっていたこと」を話していたら、中3の頃には、もしかしたら離れ離れという形でそれぞれハッピーを感じられていたかもしれない。
あのときこうしていれば、なんて今はもう遅いのだけど。
そのときの出来事を教訓にして、これからに活かしていくしかないのだけど。
一度だけ、母と正面衝突したことがある。
その翌日、父に「ごめんな、絵莉花がハタチになるまでは俺が責任持って育てるから。ハタチ過ぎたら自由や、好きなことやれや。」と、切なそうな哀しそうな微笑みで言われたとき、わたしは泣いてないフリをするので必死だった。なんだかもう父のタバコの匂いでさえ、わたしを哀しくさせた。
片親でも幸せを感じている子どもなんて、両親がいて苦しみを抱えている子どもくらいにはいっぱいいると思っている。
実際、親の「アンハッピー」って、子どもには伝わっていることが多い。子どもにとって、大好きな親のアンハッピーを感じ取りながら、あらゆることに「察し」を利かせ、自分のせいなのかなと無駄な心配をし、気を遣いながら家にいることほど窮屈なことってないんじゃないかと思う。
夢のないことを言うようだけど、人間の感情なんて「永遠に」続くことなんてあんまりないんだから。離婚したって、親と離れ離れになったって、家族であることは変わらないんだから。
別に離婚するか悩んでいる全国の親御さんに離婚を推奨したいわけではないけど、
離婚=子供がかわいそう
片親育ち=品がない
の方程式だけにとらわれ過ぎないでほしい。
まあ、ただ、わたしに品があるかどうかは、ちょっとその辺に置いといてほしいけど。