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だから私は歩みを止めない

明日は臨床検査技師国家試験だそうです。
今学生さんたちはどんな気持ちなんだろう。
ただ言えることは、頑張ってきたことは裏切らないから自分のやってきたことを信じてやりきってください。
そう思います。
では本編の始まりです。

↓↓↓

私が入学したのは3年制の専門学校。
学校の売りは“7年連続国家試験の合格率100%”だった。
臨床検査技師の国家試験の合格率はだいたい60~70%。
その高い合格率から入学前から
「うちの学校は厳しいです。はっきり言って卒業するのも大変です。なので卒業生たちはみんな国家試験よりも卒業する方がはるかに難しかったって言って卒業していきます」
と言われていた。
その言葉の通り勉強はなかなかハードだったと思う。
高校を卒業し、専門学校入学までの休みの期間悠々自適な生活を送れると思っていたら、そこそこ大きめの段ボールが1箱ドーンと自宅に送りつけられ、そこには春休みの課題と称された宿題がびっしり詰まっていたぐらいだからだ。
勉強のハードさから途中で辞めていった同級生もいたし、何人かは留年したりもしていた。
なんとか無事留年することなく進級し、いよいよ迎えた最終学年。
私はとある壁にぶち当たった。

そう、国家試験を控えた最終学年にして成績が伸びなくなったのだ。

勉強しても勉強してもなかなか結果に繋がらない。
今思えば空回っていたところもあったのだと思うが、当時の自分は知る由もなかった。
「今回もそんなに取れなかったか……」
臨地実習先の病院で自習の時間、模試の回答を見ながら項垂れていた。
「どうしたの?」
と実習先の技師さんが話しかけてきた。
「模試の成績が伸びなくて」
「あー。模試ね。模試はさ、重箱の隅をつついた問題ばかりだから気にすることは無いよ」
「うちの学校、この模試の成績も卒業判定に関わってくるんです」
「あなたのとこの学校厳しいもんね」
最終学年の卒業の条件は明確にされていた。
単位の全取得と模擬試験で既定の点数を取ること。
だが全科目の単位を落とさずに卒業できるのは、毎年40人程度いる人数のうち、上位10人程度だった。
残りは何かしら単位を落としている。
負債を抱えた者たちはこの模擬試験での既定の点数を取ることで、卒業見込みとして国家試験は受験させてもらえるのだ。
国家試験後に追試を受けて単位を取得する必要はあるのだが。
「今、どんな風に勉強してる?」
「とりあえず過去問を解きまくってます」
「うーん、それも悪くないけど……。まとめとか作ってる?」
「まとめですか?」
「そう。自分が説明できるぐらいにね。自分だけの教科書みたいなのを作るの。今からやればギリギリ国家試験までには間に合うと思うし」
「そうですよね」
「悪いことは言わないから。やってごらん。過去問を解きまくるのは直前とかでも良いと思うよ」
「はい」
国家試験を乗り越えたであろう先輩からの言葉は大きかった。
問題を解けば解くほど、なんか最初からまた勉強し直した方がいいんじゃないかとは常々思っていた。
それに今までは過去問をひたすら解き直すという勉強ばかりしていた。
もちろんそれが有効なパターンもあるが今回はそうはいかない。
ただ最初はなかなかうまく行かなかった。
臨地実習はとにかく気疲れする。
それはそうだ。
学生ただ1人、プロ達に囲まれた現場にポーンと放り込まれるのだから。
もちろん現場で学べることはたくさん多く、楽しさもある。
そうして1日神経を張り、家に帰ってからは、実習日誌とレポートを書く。
毎日死んだように眠っていたと思う。
だがまったくやらないよりは少しでもやった方がいいと毎日少しでも取り組んでいた。
半年間の臨地実習が終わり学校へ帰ると、残り半年は授業も国家試験対策モードに切り替わったが、相変わらず模擬試験での成績は伸びない。
中には急激に成績が伸びた同級生もいて焦りもあった。
いつの間にかクラスでも底辺の成績になっていた。

そんなこともあってか、朝は授業の時間より早く行って補講。
お昼も早めに済ませて補講。
授業が終わっても夕方の補講。
と通常の授業に加えて補講尽くしの生活を送っていた。
それでもなかなか爆発的に成績が伸びず、この時期はとにかく暗黒の時期だった。
私が出た学校はその学年で落とせる単位の数が決まっていた。
この数を超えてしまえば、追試を受けることができず問答無用で留年決定だ。
幸いにも私は追試を受ける権利のある数に留めることができていた。
とはいえ、模擬試験の成績が伸び悩む今の状態では国家試験を受けさせてもらえないかもしれない。
それはイコール留年を意味する。
ややノイローゼ気味になっていたのかもしれないが、この頃の私は10円ハゲと過呼吸に悩まされていた。
卒業してから聞くと、同級生の中には白髪がものすごく増えてカラーで必死に隠していた子や夜になると笑いが止まらないとか、家でひたすら泣いていたという子もいた。
だがやらなければ進まない。
やらなければゼロだが1ミリでも歩みを進めれば前進だ。
その気力だけで勉強していた。
そして最後の模擬試験でなんとか既定の点数を取ることができた。
これで国家試験を受けることができる。
そう思っていた矢先、担任の先生から呼び出された。

「今のままでは国家試験を受けさせることはできません」
「え?」
私はどん底に突き落とされたような感覚に陥った。
「最後に既定の点数はとれたけれど、これが偶然かもしれないという判断でね」
「……」

終わった。

今年の国家試験を受けることはできない。

留年が確定した。

両親に来年の学費のことどう話そうか。

奨学金は留年だともう貰えないんだろうか。

やってきたことは無意味だった。

私にはこの道は向いていなかったんだ。

涙が止まらなかった。
ただただ目の前が暗かった。

「ただね」
と担任が1枚の折れ線グラフを出してきた。
「これ、あなたの模試の成績。なかなか上には伸びてないんだけど、1回も下がってないの」
「……」
「それでね、卒業判定でこの最後の点数が偶然なのか実力なのか。もう1回見せてほしいっていう話になってね」
「…と言うと?」
「もう1回模擬試験を受けて。それで判定させてほしいとのことです」
地獄に天から垂れてきた1本の蜘蛛の糸はまさにこのことだと思った。
だがメンタルはかなりボロボロに近かった。
「過呼吸に悩まされてるのも知ってるし、もう模擬試験受けたくないって泣いてたのも知ってる。嫌なのもわかってるけど、この最後のチャンス受けてほしい」
担任の先生は言った。
絶望的な状況には変わりない。
だが一筋の希望があるならそれは掴みに行くしかない。

「…受けます」

「よし。明後日にやるから頑張って」
教室に戻ると友人たちに心配された。
なんなら私が受けるのを拒否したら力づくでも説得しようとしてくれていたそうだ。
そして模擬試験に通るよう、勉強に付き合ってくれた。
この出来事は当然親にも連絡が行った。
「一生懸命やって、あかんかったらそれはそれで仕方ない。学費のことは心配せんでええから、とにかく最後の一勝負してきなさい」
と両親には喝を入れてもらった。

そして勝負の日。
教室にただ1人。
黙々と問題を解いていく。
試験の時間はあっという間だった。
記憶にもない。

ただ採点を待っている間の時間は生き地獄だったのを覚えている。
この日は国家試験2日前。
午後からはクラスのみんなで近くの神社に合格祈願に行くことになっていた。
もし点数を取れていなかったら、その場にはいたくない。
友人とも顔を合わせられないかもしれない。
ただただ長い時間。
そして、先生が私1人いる教室に入ってきた。

「よくやった!」

既定の点数を取ることができた。
国家試験を受けることができる。
ずっと憧れてきた、目指してきた検査技師になるための試験を受けることができる。
「ええか。本番は明後日なんやから気、抜いたらあかんのよ」
「はい」
皆が待っている教室に入ると、友人たちが飛びついてきた。
「一緒に国家試験頑張ろう!」
「ありがとう!」
一緒に勉強に付き合ってくれた友人たちには感謝してもしきれない。
両親にも
「とりあえず一安心や。でも本番は明後日なんやからな」
と浮かれているところを引き締めてもらった。

そうして迎えた国家試験。
朝から夕方まで200問の問題をただ無心に解く。
終わった時の解放感はこの上なかった。
だがここからまた生き地獄。
私の学校はその日に学校に帰り、その日に学校で採点し自己採点の点数がわかるようになっていた。
そう、皆で採点をするのだ。
1ページ丸々不正解の時は絶望しかけたが、友人たちと採点していく。
そして出た点数は、あくまでも自己採点だが200満点中の140点越え。
その年にもよるが大体6割程度の120点がボーダーラインとされていたので蓋を開ければかなりの余裕があったのだ。
国家試験よりも卒業する方が大変。
その言葉が改めて身に染みていた。

友人や家族、朝から夜遅くまで1日3回の補講に付き合ってくれた学校の先生たちの支えもあった。
だがこんな絶望的な状況に陥った中で一筋の希望を掴み取ることができたのは歩みを止めなかったこともあると今になって思う。
苦手な科目はもちろん、1から勉強し直した。
臨地実習の時に言われたアドバイス通り自分だけの教科書を作った。
最終的にその数はルーズリーフ7冊にも及んだ。
また今回もそんなに点数が伸びなかったと、何度も挫折しそうになったけれど。
何もしなかったら進まない。
暗闇のまま、絶望のままだ。
だが私は歩いた。
少しでも。
少しずつでも。
それがあの、一度も下がることのなかった折れ線グラフに繋がっていたのだと思う。
だから最後のチャンスという希望を掴むことができた。

『諦めたら試合終了だよ』

スラムダンクに出てくる安西先生の名言。
まさにその通りだと思う。
あの時諦めて何もしなかったら、暗闇のまま。
希望と言う名の光を掴むことすら出来なかった。
病院で臨床検査技師として働いていることは無かったかもしれない。
絶望と希望はまさにコインの表と裏だ。
だがコインの向きを変えるには、動かなければ始まらない。
歩みを止めては何も動かない。
これからまだまだ絶望的なことに襲われることは多々あるだろう。
一瞬は悲観的になるかもしれないが、動くしかない。
少しでも、ほんの少しでもいい。
だから私は歩みを止めない。
たとえ暗闇の中でも、私は歩き続ける。
最終的には希望と言う名の光を手に入れられるのだから。


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