いじめについて正面から考える(後編)
学校、先生がしていくことのひとつに、「これまでの当たり前を疑う」ことが挙げられると思います。
前編で書いた「からかい」「いじり」「よかれと思って」もそうです。
そして「団結」や「多数決」もそうです。
後編では、リディラバ主催のオンラインセミナーで工藤勇一先生と弁護士の真下麻里子さんが話していたことを、「当たり前を疑い、そして学校ができること」としてまとめてみました。
「団結」「多数決」
「団結」はほんとにいいこと?必要?
もともと人と関わるのが苦手な子にとってつらい目標ですよね。
それでも「団結」を全員の目標にしますか?全員OKじゃないのに。
OKじゃない子どもは排除ですか?
「多数決」はほんとに妥当?
「みんなで決めたんだから守ろうね」はいじめの構造ですよね。
もともとOKじゃない少数派の人たちは、従うしかないのでしょうか?
。。。
こう書きましたが、やってしまいがちですよね。
こういったことを学校は平気で教えてしまっているという現実に気づき、目を向ける必要がありそうです。
自律した子どもを育むために
先生は「いじめは自分たち(先生)が解決しなくては」と思いがちです。
すると子どもたちは「いじめは大人が解決してくれるものだ」と思ってしまい、
そうすると、解決できなかったときに人のせいにする子になっていく。
「解決できなかったのは先生のせいだ、親のせいだ」と。
自律した子どもを育むためには、
徹底的に「どうしたいのか」と問いながら、よりよい選択を考えさせる経験を積み上げていくしかないのです。
徹底的に、というのがキーワードだと感じました。
麹町中では学校を挙げてこうした取り組みをしています。
先生方全員が同じベクトルで同じ生徒対応をしているのです。
明日からできる3つの質問▼▼▼
「どうしたの?」(状況を言語化してもらう)
「どうしたい?どうなりたいの?」(意思を確認する)
「手伝えることある?どんな手助けが必要?」(支援も自己決定)
学校が考えること〜真下さんのまとめの言葉〜
1)授業の限界
道徳や特活でできることには限界がある、ということを意識することも必要。
学校はどこまでできて、どこからはできないのか、意識することが大切。
もっと専門家を学校に取り入れていく。
2)問題なのは「手段の選択」
学校は「手段の選択」を練習する場所。
「内心の自由」(憲法19条)により、心の中ではどう思ってもいい。
いじめをしてしまった生徒の気持ちを聴き、そう思ったんだねと共感して受け止めてあげることも大切、
でも他の手段はなかったかな?と考えてもらうことはもっと大切。
3)法の考え方を取り入れる
「法」で「何がフェアなのか」を学ぶことができる。
「権利」=わがまま、ではない。
「私の権利」と「あなたの権利」は繋がっている。
権利は個人だけのものではないのです。
学校は理不尽を学ぶ場所?
学校は「理」を学ぶ場所。
工藤勇一先生まとめの言葉
1 いじめ ダブルスタンダード
曖昧なのでいじめという言葉を使わない。
具体的に事例を言う。
2 感情と考え方
考え方が違うと、人はいらいらする。
考え方の違いは悪じゃない。
3 行動のほうがずっと大事
心と行動一致すべき、という日本独特の考え方があるが、
知識とスキルのほうが大切。
教員こそスキルと人格を混同して考えがち。
スキルと人格は分ける。
簡単に出る答えはないけれど
生徒指導・教育相談って、マニュアルがないものですよね。
事例ごとに対応も違う。
とても難しいですが、いじめは避けて通れない問題です。
その時にできるベストな選択をし、その生徒にとってのその時点での最適解を導いていけるように、私たち教員も勉強し続けなければいけないと思いました。