Old Englishという用語について
英語はしばしば、次のような時代区分がなされます。(Cf. Bergs, Alexander and Laurel J. Brinton (2012) English Historical Linguistics: An International Handbook, vol. 1)
古英語(Old English)[450年頃-11世紀末]
中英語(Middle English)[1100年頃-1500年頃]
初期近代英語(Early Modern English)[1500年頃-1700年頃]
後期近代英語(Late Modern English)[1700年頃-1900年頃]
現代英語(Present-day English)[1900年頃-現在]
また、「古英語」にあたる時代の言語の呼称として、以前用いられていたものに「アングロ・サクソン語」(Anglo-Saxon)もあります。“英語史の時代区分の歴史 (5)” hellog~英語史ブログによれば、Henry Sweet (1845-1912) が、1871年に最初にAnglo-Saxonに代わる呼称として、Old Englishを使用したと言うことです。
ここで、いくつかヨーロッパで出版された古英語を扱った、有名な書籍のタイトルを見てみることにしましょう。
Anglo-Saxonもしくはそれに対応する名称を用いているもの
An Anglo-Saxon Dictionary: Based on the Manuscript Collections of the Late Joseph Bosworth (edited and enlarged by T. Northcote Toller; 1882-)
An Anglo-Saxon Primer (by Henry Sweet; 1882)
Angelsächsische Grammatik (by Eduard Sievers; 1882)
The Student's Dictionary of Anglo-Saxon (by Henry Sweet; 1896)
A Concise Anglo-Saxon Dictionary (by John R. Clark Hall; 1898)
Old Englishもしくはそれに対応する名称を用いているもの
Deutsche Versgeschichte mit Einschluß des altenglischen und altnordischen Stabreimvers, 3 Bde. (by Andreas Heusler; 1925-9)
Altenglische Grammatik: nach der angelsächsischen Grammatik von Eduard Sievers (by Karl Brunner; 1942)
Manuel de l'anglais du moyen âge: des origines au XIVe siècle, vol. 1. Vieil-anglais (by Fernand Mossé; 1945-)
An Old English Grammar (by Randolph Quirk and C. L. Wrenn; 1955)
Old English Grammar (by Alistair Campbell; 1959)
Altenglisches etymologisches Wörterbuch (by Ferdinand Holthausen; 1963)
Old English Syntax: A Handbook (by John C. MacLaughlin; 1983)
Old English Syntax, 2 vols. (by Bruce Mitchell; 1985)
Dictionary of Old English (by Angus Cameron et al.; 1986-)
Sweet自身、Old Englishという呼称を提唱しつつも、その後に出版した自著のAn Anglo-Saxon Primerや、The Student's Dictionary of Anglo-Saxonでは、従来のAnglo-Saxonを使用しています。またSweetは、An Anglo-Saxon Primerの他にも、An Anglo-Saxon Reader in Prose and Verse: With Grammar, Metre, Notes and Glossaryや、A Second Anglo-Saxon Reader: Archaic and Dialectalも著していますが、これらでも従来のAnglo-Saxonを用いています。そのため、Old Englishという呼称は、すぐには普及しなかったものと思われます。しかし一方で、20世紀の中頃からOld Englishという新たな呼称が、従来のAnglo-Saxonの代わりに広く使われるようになったことがわかります。それは、SieversのAngelsächsische Grammatikが、Brunnerの改訂の際にAltenglische Grammatikに改名されたことからも窺えます。
一方で、この“Old English”という用語は、英語史についての知識をあまり持たない人々によって、「古い英語」の意味で使われることがあり、混乱を招き得る状況になっています。ネット上には次のような、「シェイクスピアは古英語を用いてなかった」という記述のあるサイトが、いくつも見られます。
そもそも、“Old English”が「古英語」という意味以外でも用いられることがありました。例えば、1874年から1876年にかけて出版された、A Select Collection of Old English Plays (15 vols.)という演劇のアンソロジーがあります。この選集には、中英語期の終わりから初期近代英語期の17世紀後半までの作品が収録されています。当然、この“Old English Plays”というのは「古英語の演劇」ではなく「(出版時における)古いイギリスの演劇」と考えるべきでしょう。
ちなみに、Old EnglishとMiddle Englishの日本語での訳語にも変遷がありました。以前は「古英語」と「中英語」ではなく、「古代英語」「中世英語」と広く呼ばれていました。例えば、厨川文夫著『古代英語』(1933年)、H・スウィート原著/東浦義雄註『古代英語文法入門』(1962年、SweetのAn Anglo-Saxon Primer, 9th ed.に註釈が付されたもの)のような書籍があり、これらでは「古代英語」という呼称が用いられています。
これに関して、市河三喜著『古代中世英語初歩』の改訂版にあたる『古英語・中英語の初歩』(1986年初版)の「はしがき」において、改訂者の松浪有氏は次のように述べています。
実際、「古英語」「中英語」が実際に話されていたのは、共に歴史上「中世」であったため、少なくとも「古代英語」という訳語は誤解を生むものであったのは確かです。
現在では(少なくとも学術的には)用語の混乱は見られず、英語にせよ日本語にせよ、「中英語」(Middle English)の前の段階については「古英語」(Old English)と通常呼ばれます。ですから、この記事で取り扱った内容は、概ねすでに過去の問題であると言えるでしょう。
追記(2023/7/5)
ちなみに細江逸紀は、主著『英文法汎論』(1952年、第15版、12頁)において、Old Englishを「古英語」Modern Englishを「近代英語」と、基本的に現代的な表記を用いていますが、Middle Englishについては「中英語」ではなく「中古英語」という表記を行っています。また、市河三喜の『古代中世英語初歩』の初版は1948年の発行のようです。このことから、戦前から戦後しばらくにかけては、術語に混乱があったのでしょう。
また、Google Books Ngram Viewerで‘Old English’と‘Anglo Saxon’の使用頻度を見ると、特に20世紀以降Anglo Saxonはあまり使われなくなったことがわかります。なお、19世紀のAnglo Saxonが多く使われている時期であっても、Old Englishの方が使用が多いように見えますが、この場合「古英語/アングロ・サクソン語」の意味ではなく「古いイギリスの/英語の」という意味で用いられているのが、Google Booksの検索でわかります。
(本記事の記述に誤りや改善点があるとお考えの方は、コメントないしは筆者のTwitterアカウントへのリプライ等でご指摘いただけますと幸いです。)