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ものの価値を知ること

WWOOFをして、いろんな暮らしを経験して、たくさんの人に出会い、気づいたことは『ものの価値』。

野菜は寒い日も暑い日も外に出て周りの草を抜いたり、手間かけて育て、強風や豪雨から守り、猛獣や鳥から守り、収穫する。野菜によるけど、大体3ヵ月くらい収穫までに時間がかかる。それがスーパーに並ぶとあんなに安い。スーパーへの包装・輸送・販売へのお金もかかるとしたら、野菜の原価はいくらになるんだろうか。あの手間かけた日々はそんなに安いものなんだろうか。そもそも野菜作りは種を播くところからではなく、土を作ることから始まってる。そして耕して、畝立てて、、、種を播く。長い長いプロセスがあって、野菜は出来上がる。

梅干しは木に登って、手で収穫し、ヘタをとり、漬ける。そして土用の日前後にひとつずつ外に並べ3日間干す。そしてまたひとつずつ容器に入れ、熟成させる。梅干しは脆くて、破れないように移すのがとっても大変。

お米も、田んぼの土つくりから始め、発芽にも時間がかかり、大人数で植え、水の量を調整したり、雑草を抜いて、手間かけて育つ。そして収穫して、乾燥・脱穀して、保存のための環境整えて、白米で食べるなら精米して、、、。こちらも長い長いプロセス。

大型機械を使っている人たちは、その機械に巻き込まれて、粉々のミンチになって死ぬこともある、ということも知った。食べ物は誰かの犠牲を伴うときもある。

生活用水は川から流れるように土を盛り、時折その川の土が崩れると、家は断水して、川の土を修復する。

温水は太陽光だから、シャワーは全員が浴びれるように曇りの日は短めに。雨の日は薪で火をおこし、温水を作る。

都会に戻って、ふと「私はどれだけ完成されたものの中で生活しているのだろうか」と気づく。それが良い、悪い、とか、便利、不便とかの言葉ではなく、ただ『ここに至るまでのプロセス=ものの価値』を知らなかった、ということ。

服も、誰がどんな素材をどのように育てて、どれほどの水を使用しながら作られて、そして最終的に要らなくなった服はどこへいくのだろう。

ものの価値を考えるようになってから、安く売られているものたちが不信で仕方なくなった。今、暮らせているのも、完成されたものに囲まれて不自由なくいれるから。『ものの価値』を知ってから、さらに広く考えるようになった。そして買い物の仕方が変わった。

良い、悪い、とか、便利、不便とかじゃなくて、『ものの価値』を知るって大事。淡々と暮らす都会生活も、ものの価値を知ることで、買い物の仕方を少し変えることで、少し色づいた気がする。『自分で選んでる』って気がする。自分にも地球にも優しくなれる気がする。



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