求む 中医学と西洋医学の連携
先日「中医学を勉強した理由(娘の熱)」という記事を書きました。その続編で、漢方外来に初めていったときの診察室の思い出と、1年間中医学を勉強して感じたことを書いてみようと思います。
「漢方外来」の診察室の記憶
2012年、わたしは繰り返す発熱に悩む中学生の娘をつれて、北里大学病院の「漢方外来」にいきました。その診察室での様子は今も覚えています。
「中医学を勉強したわけ(娘の熱)」の記事の後半にも書きましたが、検査はなく、問診が中心でした。(舌診・脈診・腹の触診などもあります)
問診では、全身の様々な状態についてたずねられ、発熱以外の不調(不眠・便秘など)もあきらかになりました。自分が娘の熱にばかり気を取られていたことに気づかされました。
発熱については、これまで検査をしてもわからなかった内容について、先生が正面から話をきき、首を傾げること無く考えてくれました。「そういう現象もある」という前提で、正面から聞いてくれているような気がしました。
先が見えない不調を抱えている時、このように取り合ってもらえるのは、なによりもありがたいことです。結果的にそのあと処方された薬は、幸いドンピシャですぐに効き、14年間繰り返しつづいた高熱はパタリとやみました。
西洋医学とは違う診察方法
その後、機会があり、中医学を1年勉強してみてわかったことは、中医学と西洋医学の思想や視点は全く異なるということです。
例えばその診察方法です。
上でもご紹介した通り、中医学の専門家は、まず患者にとってつらい症状を「問診」(会話)でききだし、顔色・舌・脈・髪・爪・肌もみて、大小便・月経などの話もきき、吟味していきます。
人間の「驚きやすい」「涙もろい」「キレやすい」などの性格も「臓」の関係することとして、参考にする場合もあります。
それらの情報をもとに、数値化できない・レントゲンや顕微鏡でみれない「体内の気」や「血(けつ)」や「湿(しつ)」の過剰や不足や停滞があることを判断したり、関係している臓腑はどこか、などについて、大真面目に考えます。
そして最後には、何が原因となって今の症状がでているのかという結論をだし、優先順位も考えて、当面の治療法(薬など)を導き出します。これが中医学での基本的な診療の流れだと思います。
その過程で語られるナゾの現象が、もし西洋医学の病院の顕微鏡やレントゲンに映らなくてもなくっても、そんな事は気にしやしません。西洋医学とは観察しているポイントや思考方法がちがうからです。
中医学の世界では、そのような診察を支えるための、さまざまな、人の状態に関する情報が体系化されていて、それらの情報の何に着眼してどう吟味すべきかを説明しています。またどんな薬(単体の植物・鉱物由来などの自然の薬)があるか、それらをどう組み合わせて方剤にすべきか、などもまとめられているのです。
胡散臭いと思われがちな中医学
普通に暮らしていると、漢方薬は目にしても、中医学には興味さえ持たない人が多いと思います。また、診察してもらうとなると、ハードルはもっと高い。最初から、中医学を避ける人のほうが多いと思います。
だって、日本ではそもそも、中国政府が認定した中医師であっても、「医師」としては認められません。まずそこは大きいですよね。
身近な漢方薬はどうでしょうか。私が思うに、薬局で売っている市販の漢方薬の箱には「表面手的な症状」を断片的にしかかいていないため、自己判断で漢方薬を買って飲んだ場合に「効かない」と思われるようなことも多々あるとおもいます。
さて、思い立って、せっかく漢方医(中医学の専門家)に診察してもらったとしてもどうでしょう。場合によっては、問診中心であるため、患者さんと先生との相性や、先生の経験値に左右されることもあるみたいです。
諸々のことがあり「胡散臭い」「効かない」「科学的に実証されていない」という声につながるのだろうな、と思います。
科学的には実証されないよ
ところで、中医学が「科学的に実証されていない」という議論をよく聞きます。1年勉強してみて、この議論に対する私の意見は、「そりゃもうアンタ、永遠に実証なんかされないよ!」です。そもそも、中医学についてはそういう議論はナンセンスだと私はおもいます。
(ここからは、私の妄想です)
そもそも中医学の視点は、科学の実証からは遠くかけ離れているものだと思っています。
漢方薬の効能くらいなら科学的に実証できるでしょうが、中医学の全体像は、永遠に科学的に実証されないだろう(誰もそんな実証にチャレンジなんかしないだろう)と私は思います。
まず中医学に携わる人たちは、そんなことに熱心にはなりません。中医学の理論はすでに、数千年におよぶ膨大な臨床実験のつみあげで今日に至っており、すでに自分たちの中では証明済みと考えています。また、その理論をささえているのは中国の古代の自然哲学思想ですから、わざわざ実証しなければいけない対象物ではないのです。
中医学の進歩のための研究用に科学の力を導入することはあるかもしれませんが、彼らがわざわざ中医学の全貌を、科学的に実証しようと躍起になることはなさそうです。
もし仮に、科学的に実証する動きをとるのであれば、西洋医学の研究者にお願いするまでです。彼らに自分たちの西洋医学の観点で中医学の理論を切り取り、実証に向けて動いてもらわなければ、何も出てこないと思います。
でも、それにはまず第1段階として彼らに、目には見えない「気」やら「経絡」やら「証」の説明のところから、科学のスタイルで「見える化」をお願いする必要があるでしょう。
しかし根本的な発想がちがうのに、そんなものを実証する対象物に設定できるでしょうか。まず発想の大転換をして「最初は気の流れを見える化しよう!」ってなかんじで目標設定をし、段階的に実証の範囲を拡げるとか?
おそらく西洋医学の世界で、そんな壮大なプロジェクトに時間とコストを費やす余裕はないと思います。誰も手を挙げないでしょう。
だから現実的には今後も、中医学は「実証できない」と言われ続けるでしょう。
いまできるのはたぶん、中薬の成分の分析や、有効成分の抽出、効き目の実証くらいだと思います。
(以上、あくまでも私の妄想でした)
求む 中医学と西洋医学の連携
ところで、わたしに中医学を教えてくださった先生達は、西洋医学を否定したりはしていませんでした。時には「こういうときは近くのxx科の病院にすぐいって下さい」とかおっしゃることもあります。
両方を勉強した上で、中医学というモノサシも持っていると、きっといいこともありますよ、というスタンスでした。
私は、中医学も西洋医学も、どちらも素晴らしい有難い知的体系で、人間の熱意と努力の結晶だと思っています。私や家族は、これまでその両方に助けられてきました。
両者が全く違うからこそ、それぞれの価値が活きるのだと思う。両者が同じ場所にいてくれて、補い合ってくれればいいのにな。
西洋医学と中医学を連携させた病院があればいいのに、と感じることがよくあります。
とくに日本なら、そういうことができても良さそうなのに、と思います。