ERIE

元エホバの証人2世です。3歳から組織に入り、12歳でバプテスマを受け、18-20歳に正…

ERIE

元エホバの証人2世です。3歳から組織に入り、12歳でバプテスマを受け、18-20歳に正規開拓者を経て22歳で排斥処分となり、もうすぐ15年となります。現在結婚しふたりの息子の子育て中の専業主婦です。過去の清算、情報提供のためブログを綴ることにしました。

最近の記事

追悼。

※これから先私が書くことはひとりの女性の訃報についてであり、私の憶測が入っていることを承知しています。 決して軽い話ではなく苦しくなったり不快に思われるかもしれませんので、この先を読むかどうかは各人で判断していただけますと助かります。 私は去年3月から元JW2世としてX(旧Twitter)のアカウントを作り、ありがたいことに現在『私お友だち300人できたよ』と言わせていただけるほどにたくさんの方と繋がることができています。 その中ではじめ頃から繋がることができ、Twitt

    • 私の父について

      年末年始の忙しない中、みなさん風邪などひかず元気でお過ごしでしょうか? ばたばたと子どもたちとの冬休みを過ごす中、今年行ない続けてきた私の気持ちを整理している作業の上でどうしても年内にしておきたいことがあり、今日はそのことをブログに綴ろうと思います。 とても長い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。 先日私は私の父親の戸籍を取得申請しました。 取り寄せたのは父の今の本籍(住所)と婚姻関係が分かる戸籍謄本と、過去の婚姻関係や子などの籍の流れが全て分

      • みなさまお久しぶりです。エホバの証人問題支援弁護団よりのお知らせ含みます。

        みなさんお久しぶりです。 だんだん寒くなってきて季節がはずれたウイルスも流行っているとのことですが、お元気でお過ごしでしょうか? 今年の3月から5月にかけて綴った私の元JW2世としての人生を読んでいただき、思った以上に反響をいただきまして本当にありがとうございます。 世界から見たらちっぽけなひとりの人間の人生ですが、それでも共感してくださる方、寄り添ってくださる方がたくさんいて、私は嬉しいです。 私はJWの母子神権家族として育ち、エホバへの信仰心を持ってはじめて親から愛しても

        • 60.それからの約15年

          1999年、12歳の7月24日にエホバの証人になった私は、10年後の2009年9月20日にエホバの証人でなくなりました。 私は22歳でやっと自分という人間が産まれたと感じました。 それからも派遣切りに遭ったりして会社をいくつか転々とはしましたが、 商業高校で取得した資格をバネにゼネコン会社の出張所の事務に落ち着き、 24歳の4月に薬を飲まなくても大丈夫になりメンタルクリニックをあとにし、 交際3年の2012年7月11日に彼と私は入籍しました。 結婚式をしても現役の私

        追悼。

          59.排斥処分

          これだけのことを目の前の3人に話を遮られないようにマシンガンのように話し終わった時には、私の目から涙がぼろぼろ出ていました。 T兄弟はバツが悪そうな不服そうな顔をしていましたし、 T兄弟の両脇に座っていたふたりの兄弟は、T兄弟の横暴ぶりを改めて知ったからか私の迫力に気圧されたのか、完全にドン引いた顔をしていました。 少し沈黙があったあとT兄弟が口を開きました。 『姉妹、私たちはどうしたらいいでしょうか?』 瞬間私はとてもがっかりしてしまいます。 私は今どうしたらいい

          59.排斥処分

          58.審議委員会②すべてをぶちまける

          『私と私の家族は長い間、この会衆に、特にT兄弟にいじめられてきました。 集会中注解をしようと何回も一生懸命手を挙げても無視されたり常に話の輪から外されたり、 私たちはいつも針の筵に立たされてきました。 T兄弟、覚えていますか? いつだったかの訪問講演の食事会の場所をうちに指定してきたはそっちなのに、 直前になって群れのみんなの前で『ERIE家は食事会来ないんだよね?』って言いましたね? そのあとあなたの奥さんから『作る食事の量はERIE家の分マイナス3人ってことでいい

          58.審議委員会②すべてをぶちまける

          58.審議委員会①罪状確定

          9月20日、彼が運転してくれた車に乗り私はK会衆の王国会館へと入りました。 『第二会場』と呼ばれる個室で、主宰監督のT兄弟と長老のO兄弟とTA兄弟と対峙して審理委員会が始まりました。 彼が王国会館の駐車場の車の中で待っていたことが決定的な証拠、 さらに『最後までされましたか?』という質問に私がはっきり肯定し、『反省も後悔もしていません。』の私の一言で『罪状』はあっさり確定し、 審理委員会が始まってわずか5分程で私が排斥処分となる予定なのはわりとあっけなく告げられました。

          58.審議委員会①罪状確定

          57.ついに動く

          彼は私の動物のような酷い姿を何度も見てきたのに、私がしたいこと、私の気持ちを聞いて理解をしてくれましたし、 私が世間知らずなところや感情が制御できないところなどはちゃんと叱ってくれました。 メンタルクリニックの先生や職場のみんな、彼のおかあさんにもたくさん助けられましたが、 一番は彼の助けがあってこその私だったと思いましは。 彼には感謝しかなかった。 私は変わりたい、そのためにはやっぱり中途半端な今の自分が心底嫌だ、 私はエホバの証人との関係を完全に断とう、と思います。

          57.ついに動く

          56.繰り返すOD

          彼の実家でも二人暮らしのアパートでも、 私は数日おきというスパンでパニックと怒りのストッパーが外れ、真夜中でも構わず大暴れしていました。 週末は必ず彼と喧嘩をして行く充てもなく家出を何度もしてみるのです。 とうとう自分も彼も耐え切れなくなり、私は精神病院へ入院できるか電話で問い合わせますが予約待ちの期間があると断られ、 ついに全世界に見放されたと絶望しODを繰り返します。 頓服にと病院からもらっていた薬を大量に巾着ポーチの中に残しておいて、それを何十錠と一気に飲んでは

          56.繰り返すOD

          55.混沌とした同居

          抗うつ病『パキシル』と精神安定剤『デパス』を処方してもらい、とりあえず彼の実家で週末を過ごしました。 月曜日の朝出勤するために彼が運転して部屋まで送ってくれて、 『先に出勤しているからまたあとでね。』と言われて彼を見送り部屋の玄関に入りました。 そこからの記憶が私には全くなく、 気がつくと部屋のベッドの上で、時計の針は10時を過ぎていました。 私は無断欠勤状態だとパニックになり、会社に電話をかけました。 社会人になってから今まで無断欠勤どころか遅刻さえしたことがない私

          55.混沌とした同居

          54.鬱病発症

          母に連絡しづらいもどかしさ、排斥のために動けていない自分への怒り、 職場でも私はフォークリフトやクレーン系の資格を取ってさらに忙しくなり時給が上がったり、職場恋愛も充実していることをやっかまれることが増えて、 『勤務中私語が多い、給料泥棒。』と、どこかで私の時給情報を手に入れたお局さんに退勤前に2時間お説教されたこともあり人間関係にさらに悩み、 2008年のリーマンショックで派遣切りに遭い派遣会社名義の部屋から引っ越すことになり、 新しい部屋の保証人は血縁者しかダメと言わ

          54.鬱病発症

          53.彼を利用してしまう

          エホバの証人が『罪』とカテゴライズする中で『排斥』決定となる大罪は3つあり、 『偶像崇拝』『血の誤用』そして『性の不道徳』です。 私の中ではずっと排斥処分を希望しているので『大罪を犯す方法』を考えていて、 私が知っている排斥された人のほとんどはやはり『性の不道徳』が原因だと『若い人は尋ねる』という書籍をもとに聞かされていたので、 ひとりの若い人間としてはやはり『性』がいちばん手っ取り早く、 エホバの証人でない人と交際して婚前交渉をすれば、絶対免れないれっきとした排斥理由に

          53.彼を利用してしまう

          52.カミングアウト

          私は彼と付き合えて幸せだと心の半分では思っていましたが、 これは彼を騙しているのではないかと後悔する気持ちもあり、打ち明けられずそれから1週間悩みました。 悩みに悩んで、やっぱり彼に本当のことを話していない、騙している状態がとても辛かったです。 彼は純粋で嘘のない気持ちで私に接してくれているのに、私は正体を隠して接していることはとても狡い。 1週間後の土曜日、私は全てを話そうと思い、京都へデートに行った帰りの車の中で勇気を振り絞って、 私はエホバの証人であること、まだ

          52.カミングアウト

          51.告白、お付き合い

          彼は2度目の食事に行った時に、私のことを『興味がある』と話してくれました。 海遊館に行ってからは毎週土曜日に野球を観に行ったり、大阪難波を歩いたり、お付き合いをしていないのに『デート』をして、手も繋ぎました。 7月11日金曜日、私は彼と3度目の食事に行き、『好き』と告白されます。 私はとても嬉しかったですし目の前の彼は私にとって常に新鮮な存在でした。 私も彼が好きだと思います。 優しいし、でもあのA兄弟のように恋愛経験の無い私を弄ぶのではなく純粋に私に接してくれてい

          51.告白、お付き合い

          50.反動の不眠と頭痛

          平日は毎朝7時頃出勤し、夜は21時頃帰宅するというリズムを繰り返し、 土日は遊べる友だちもおらず、GWにガソリンが高騰した年で出かける気力も起こらず、 母とは別々に暮らし始めて最初は毎日のように着信がありましたが、 私が1度電話にすぐに出られなかったことがあって母が私の何かを疑い、それで揉めてそれから母からの電話は一切なくなりました。 親元から離れて、新しい場所の王国会館を探す気もさらさらなかったので接触が全くなくなり、 私は自由を得たはずなのに、 今まで積もりに積もっ

          50.反動の不眠と頭痛

          49.私の運命を変えた出会い②

          ある土曜日の休日出勤で、私と彼は一緒の勤務でした。 休日出勤なので人数は数人しかいなく、 私は彼といつも以上にたくさん会話ができて、この1日ですごく仲良くなった気がしました。 これが最後のチャンスかもしれないと思い、 お昼休憩中に彼に懲りずに『ごはん一緒に行きませんか?』と誘ってみました。 結果はもちろんおなじセリフ、『なんで行かないとあきませんの?』でした。 予想はしていたので特に悲しくはなかったですし、 もう3回も誘ってはこれ以上はしつこいなと思い、会社内だけの『

          49.私の運命を変えた出会い②