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[6] Megaron|Apostolos Georgiou他
5年に1度の国際芸術祭ドクメンタのアテネ会場を見てきました。いくつか作品を紹介します。名前からして「でかい」コンサートホールでは常設の作品が1~2アーティスト、その他はライブが行われていました。
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documenta 14
Athens
Venue Number [6] | Megaron
Artist | Apostolos Georgiou
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コンサートのプログラムは上記したvenue[6]のページに記載されているのでご興味のある方はそちらをチェックしてください。私は常設の作品を鑑賞しました。
メガロンは1991年から続くコンサートホール。社会活動家や音楽家、音楽を愛する人たちで構成された団体が長らく準備をした末にできた施設です。企業、個人、市の基金で運営されていましたが2017年からはギリシャ政府が運営管理することとなり、つまり公共の所有となりました。
世界規模の音楽シーンを紹介しつづけ様々な階層/政治理念/年齢の人々がその興味をひかれ続けた施設が「公共に資する」場所へと変化した。この事実がどのように、ギリシャのコンサート事情に影響を及ぼすのか、まさにこれから、という段階で行われるdocumenta 14 athensの展示です。
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豪華なシャンデリアが鎮座するスペースは、コンサートが行われていない時間帯だったこともあり人がひとりもおりません。スタッフのみ。時々コツコツと足音が聞こえるのは劇場スタッフが忙しく歩く時だけという静かな空間に、Apostolos Georgiouのドローイングが佇んでいました。
彼の絵に描かれた人物たち顔のよく見えない匿名の個人たち。奇異で脅迫的な動き(社会的儀式と書かれています)をしています。大きなキャンパスに描かれているからか、ほぼ実寸大です。
窮屈な(空間自体は窮屈ではないのに彼らはわざと窮屈にしているかのよう)社交ダンスの状況、壁に足をあげて寝転がる男性二名はまるでやらざるをえないからしているかのようにも見えるし大人のフリをした子供がどうしようもなく時間を過ごしているようにも見える、トイレの中までも管理されている男性と管理している滑稽な男性たち、映画館でキスをする男女、などなど。
何か意味があるはずなのだけど理解しがたい動きを時々集団は行います。その集団の中にいるとその動きがどんな意味を持つのか気にするよりもその動きを通じて獲得する変容に重きが置かれるようになります。絵の中の主人公たちは個人ではなくておそらく集団(の中の個人)で、だからでしょう、彼らの動きは意味よりもその奇怪さが目立っていました。
照明が独特で、特に1階の絵は。スポットライトが絵にあてられていました。前に立つと私の影が絵の中に、主人公とほぼ同じ大きさで入り込むんです。さすがに同じポーズをとることはできなかったけど。もしかすると同じポーズを取ることが何かしらの通過儀礼となって、他の絵にも描かれている集団と同じ個人になることができたのかもしれない。惜しかったなあ(棒読み)。
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ギリシア政府が運営管理することによって公共という大きな集団が劇場のオーナーシップをとりました。奇怪さが目立つうちはまだいいですが、目立たなくなり行為だけが残るようになってしまうと、なんだか危険な気がします。
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