検証(柳学園)
イジメのメドレーリレー〜お前はこれからも違う人と出会って同じように嫌われるんや!
#1. 7. 検証(柳学園)
以上、さつき寮で過ごした2年間について書きました。ここでは、自身の見解を述べます。
自分と他の寮生との温度差
上意下達の指導
寮生の「その後」
総括
自分と他の寮生との温度差
まず自分と寮生とがうまくいかなかったのは、やはり志望動機の違いでしょう。自分は前向きな姿勢で入学しましたが、彼らの志望動機はネガティブでした。自分がそんな対極の立場の人々と同じ屋根の下で寝泊まりし、同じ釜の飯を食べる生活をすれば、この結果はむしろ当然だったといえます。悪貨が良貨を駆逐する、と。
志望動機の違いは、地元の方々との接し方にもあらわれます。さつき寮の寮生はあまり地元の生徒さんと交流せず、寮生だけで固まっていました。クラブ活動中は例外でしたが、寮生には寮が全てであり、学校やクラスメイトがその延長線上に存在するのかもしれません。
一方自分は地元の生徒さんと積極的に交流していました。地方都市でありながら、地元で「カミの人(淡路島在住の方が本州の人を呼ぶ時の呼称)」といわれていた自分に対しては、排他的に扱うことはありませんでした。それどころか、すぐに打ち解けました。そしてイジメも皆無でした。
おそらく柳学園には、ストレスがなかったからでしょう。校則も比較的ゆるめで、教員による上意下達的な支配もありませんでした。それでいて学級崩壊もなかったのです。又水泳部のシーズンオフの週末は練習が休みだったので、クラスメイトと門限ギリギリまで遊んでました。柳学園は、さつき寮さえなければ全く問題がなかったといえます。
あまりこういういい方はしたくないのですが、自分は地元の生徒さんと一緒に過ごす方が、寮生といるより圧倒的に楽しかった、というのが本音です。そのためか、自分は1年2学期くらいから同期の寮生と距離を置くようになりました。
自分の志望動機は、寮生活において通学では得られない付加価値を得ることです。
当時自分は持病の喘息を抱えており、たくさんの薬を服用していました。そういった事情を背景に、自分はスポーツで体を鍛えるのは、ある意味必然的でした。一方でおぼろげながらも大学進学も考えていたので、勉強に集中できる場所を確保したかったのです。そうなると、スポーツと勉強の両立には寮生活が最適、という結論になりました。パパも、自分が三年後に立派になって帰ってくる、と期待して自分を柳学園に送り出しました。
もし仮に自分が柳学園とりわけさつき寮の状況を事前に把握していたら、絶対に柳学園に進学しなかったでしょう。インターネットのない時代ならではの出来事といえます。
2. 上意下達の指導
上意下達のタテ社会は、さつき寮の寮生にとって合理的で最適化された世界なのかもしれません。
というのは、タテ社会は上からの命令には逆らえない環境ですが、ウラを返せば、上からいわれたことをいわれた通りのことをやればいいだけです。ただ自分には全く無縁ですが…。
そうなると、ある意味ラクです。少なくとも彼らは自分のアタマで考える必要がありません。その時パシリとして過ごしても、春になれば進級し、上級生も卒業していなくなります。辛い日々を過ごしても、嵐が過ぎ去るのを待てばいい、となります。
上意下達の指導法では、当事者にとっては気楽なので、それはそれで合理的なのでしょう。とはいえ、不満があれば、それに伴う暴力が発生します。その暴力によって自分は退学しましたが、彼らからすれば「お前が勝手にやめただけだ」となるでしょう。オレには関係ない、と。
上意下達という自分のアタマで考えない生き方は、工夫するという概念がないので、行き詰ると自滅するしかないのです。
3. 寮生の「その後」
自分は社会人になって数年後、偶然ですが、さつき寮の寮生とお会いする機会がありました。自分を含め、彼らは関西圏内に住んでいるので、偶然といっておきながら、彼らと会うのはある意味必然だといえます。
自分は同期の8期生からリアルタイムの先輩、年の離れたOBまでさまざまな方々とお会いしました。そんな彼らにはいくつか共通点があります。
・世間話から入る
・近況を語る
・過去を語らない
やはり寮生活が失敗だったと裏付ける行動だといえます。
まずはさつき寮の同期のひとりについてです。そこで自分は彼にさつき寮8期生がどうなったかについて伺いました。自分はてっきり彼が同期とうまくやってると思っていたのですが、自身の想像とは全く違う回答でした。彼は同期との関係が悪化したそうです。その理由が
大学に進学したからだ、と。
仮にココで「おめでとう」の一言があれば『成長したな』となりますが、そうでなければ『相変わらずだな』となります。
彼らは対象となる相手が、常に自分たちと同等もしくはそれ以下でないと受け入れられません。彼らは対象となる相手が自分たちより劣っていれば優越感に浸りますが、逆に上回ると堪えられないのです。
この件は、同期の大学進学で関係が悪化しましたが、それはかつての自分がパシリ免除になった際に同期が不公平感を抱いたのと同じ構造です。したがって寮生の当時とその後との間に成長の跡をみることができません。
つまり月日が流れても彼らの態度に変化がみられないのは、寮生活での更生が不可能であるという不都合な真実を、その彼らの立ち居振舞いによって証明されたのです。
彼は同期との関係について語りましたが、過去の寮生活については一切口にしませんでした。当然でしょう。忌まわしき過去でしかないのですから。
もちろん彼と自分は同期なので別に語る必要はありませんが、ひとつだけハッキリしているのは、寮生活は彼のためにならなかったという冷徹なまでに残酷な真実なのです。
次にお会いしたのは6期生です。6期生はパシリに恵まれていたので、本来ならさつき寮でのいい思い出話があってもいいはずです。しかし彼の表情は冴えず、あまり幸せそうにはみえませんでした。やはりいくらパシリを確保できたとしても、2年間の理不尽なシゴキから受けた傷は、そうカンタンに癒やされません。結局うわべだけの会話に終始し、本質的な内容は聞き出せませんでした。
この方はたまたま自身の自宅の近所にある会社にお勤めでしたので、よくお目にかかったのですが、後日その会社が移転したのか定かではありませんでしたが、別のテナントが入っていました。以来、この6期生の方の消息は不明です。
もうひとりお会いしたのは、7期生で勝ち組のメンバーです。彼も6期生の先輩と同様、やはり冴えない印象でした。当時彼は他の寮生と同様、自分が寮をやめた時は村八分にしてましたが、寮という核がなくなったからか、シカトはしませんでした。いろんな話題はありましたが、やはり過去の核心部分に触れることはなく、うわべだけの会話に終始しました。
中には「さつき寮に入って良かった」と発言したOBも。しかしその本質とはなにか。
その方は自分と少し年が離れていたので、リアルタイムで一緒に過ごしていません。自分は彼が「さつき寮に入って良かった」と仰るので、何がどう良くて、どんな糧になったのかを訊ねたところ、具体的な回答は得られませんでした。「良かったのは良かったのだ」と。なんだか自分自身にいい聞かせていた印象がありました。
寮生のさつき寮を出た後の生き様からみえてくるもの。
そのやり取りからは、思い出話を聞くこともなければ、その体験を糧にした話を聞くこともありませんでした。自分は後で改めて説明しますが、自身の仁川学院で学習棄却を行った体験が、人生の糧になったのとは対照的です。もっとも彼らは親御さんに見捨てられているので、そういう意味では彼らも被害者だという解釈もできます。
かつてさつき寮は
「寮は人格形成の場であって、交通の便宜を図るための施設ではない」。
とうたってました。そもそも人格形成とは何でしょうか。その具体的なビジョンは何だったのでしょうか。そのための明確な答えを、自分は見出せません。とてもではありませんが、さつき寮で人格形成をされたとはいえません。むしろもっと酷くなった印象すらあります。それらは冒頭で触れた通りです。
助長される不公平感。
寮生が人格形成されないまま社会人になれば、周りの人々との温度差を感じ、さらなる不公平感を募らせます。というのは、周りの人々にとって彼らの寮生活がどうだったかは、知ったことではないからです。
社会に出て過去の辛い体験を説明しても、内容があまりにも非現実的で相手に伝わりません。表現方法を誤ると、相手には愚痴に聞こえるので、彼らは多くを語りません。
辛い過去を引きずり、悶々とした日々を過ごす。彼らにはそういう方法でしか生きることができないのです。そんな彼らとも、ここ20数年お会いしていません。
学校側も、さつき寮には見切りを付けたのかもしれません。寮生の募集を行わないのは、いわば損切りしたといえます。その結果、さつき寮は誰も得しなかった上に、誰のためにもならなず、不毛に終わったのです。
以上、さつき寮の黒歴史と寮生のその後についてみていきました。
4. 総括
美談は欺瞞である、と。
あの時は辛かったけどよかった、なんてのはウソ。黒いモノは黒かった。したがって黒いモノを、シロとはいえない、と。寮生活は人格形成のための3年間なんてうたってましたが、実際はどうだったのか。
集団生活では人は成長しない。
それは、さつき寮の寮生のその後の立ち居振舞いによって証明されたのです。
さつき寮の運営の失敗について、ひとつ素朴な疑問があります。学校側はこの事実をどう受け止めているのでしょうか。
もちろん学校側が故意に失敗しようとした訳ではないことを、自分は理解しています。しかし学校側からの声がきかれないのは、あらたな不信感を募らせることになります。学校側はどのような見解をお持ちでしょうか。
さつき寮の黒歴史。さつき寮の運営は失敗だった、と。この教訓から学ばない限り、蒼開高校の未来はないのです。
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