短編まとめ「脳への空想」「おいでませアパラチア」「それぞれの絵画」
脳への空想
ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズをぼんやり眺めていたらクランゲみたいになりたいなと思った。
クランゲは全身が脳の見た目のキャラクターだ。私がこのまま老いて姿かたちが曖昧になったら最後には大きい脳みそになりたい。私は昔から脳という物にどこかロマンを感じる。
まあ、本気で実現を目指しているわけではない。子どもの空想の延長線のように聞いてほしい。空を自由に飛んでみたい、魔法が使えたらなどなどこうなったら面白いなと思う私の空想は大きな脳になることだ。
昨夜ネットフリックスで配信されている中国発のSF作品「三体」を視聴した。原作小説をアレンジし構成された映像版だ。今からネタバレを話す。
400年後地球に訪れる三体人への対策として余命近いがん患者の脳を本人の同意の上摘出し、その脳のみをコールドスリープ状態で宇宙に打ち上げた。なんと脳をスパイとして敵陣に送り込むのである。研究者の友人である「彼」は光速を超える速度で三体人のもとへ。
この後の展開が気になる方は是非本編を観ていただきたい。
従来のSF作品で肉体すべてのコールドスリープはよく描かれてきたが、三体では作中のセリフにもあったのだが脳を人の全てとし、脳のみを凍らせる事となった。
人は想像出来ることは実現可能だという。
SF作品で表現可能ということはもしかして数百年後、未来でこういった技術も実際に出てくるのだろうか。
私の空想が展開する。もし実際にこの技術が完成し適応できるとしたらこの選択をするだろうか。実際にクランゲになることが出来るとしたら。未来では謎のエキスを垂らすとそれこそクランゲのようににょきにょきと脳に手足や顔口が現れ、脳として衣食住も可能。多少打たれ弱いだろうからプロテクターを取り付ける必要もあるだろうか。交友関係の構築はどうする。寿命の概念はどこに持つべきか。
いやなんかよく解らんな…やっぱならないでおこうかな。
未来の人類はどういう選択をとるか不明だが、今日の私は空想で満足だ。
おいでませアパラチア
最近ゲーム作品のアニメ映像化、ドラマ化がヒットを続けている。
サイバーパンクエッジランナーズは高評価、THE LAST OF USは次シーズンを待ちわびる声も多い。スーパーマリオの映画は普段ゲームで遊ばないライト層も楽しめる。こういった映像化は原作ファンは勿論、新規層の獲得にも成功しているのだとか。
Amazon Primeにて配信中のFalloutを視聴した。核戦争で崩壊した世界、地下の核シェルターから地上の世界へ足を踏み入れる。ドラマを見ていると以前遊んでいたFallout76を懐かしく思い、荒廃したアパラチアに帰りたくなった。オープンワールドのゲームファンは久しぶりにゲームにログインし遊ぶことを「帰る」と表現することが多い。
というわけで数年ぶりにFallout76を起動。
スタートエリアを歩いていると思い出が蘇る。
レベル1からのスタートで右も左も分からず荒野に佇んでいると、大きなパワーアーマーを着込んだレベル300程のプレイヤーと遭遇した。初期装備の自身と比べると一回りも二回りも大きな姿。その迫力にとっさに身構える。その瞬間彼はこちらに振り返り大きく手を振りかぶった。
エモートでこんにちはと挨拶してくれた。
どさどさと地面に落とされる紙袋たち。なんとレアな装備や物資を譲ってくれるという。人間のカンとは不思議でゲーム内でも悪意がないと伝わってくる。緊張が解け私もエモートでお礼を伝えた。
というのもこのゲームは先輩がめちゃくちゃ優しく新人大歓迎スタイルなのだ。ゲーム公式ページにも堂々と記載されている。
まさにこれだった。まんまこれだった。
人の思いやりは連鎖する。私はそれから困っているプレイヤーを見つけたら手助けに入ったり、すれ違うプレイヤーに手を振ったりしている。
現実世界ではなにかとヒリつく話題が多いが、対人コミュニケーションの温かさを再確認することが出来たのだ。ゲームでの優しい思い出だ。
十分に懐かしみ気分よくなったのでこの後違う対戦ゲームをプレイしたら「お前全然敵倒せてないじゃん草」と煽られまくった。うるせえ!
それぞれの絵画
風呂あがりにドライヤーで髪を乾かす時間ほど勿体ないものはないと思う。
と言うのも、現在の私は腰に届きそうな長髪だ。毎日15分ほど時間をかけて髪を乾かしている。換算すると一週間で105分、一年で5,475分である。勿体ない。ドライヤーをかけているだけで寿命が尽きてしまいそうだ。
では髪を短く切り揃えば良いではないかと思うだろう。私自身もそう考え何度もショートヘアに挑戦したが、なぜかしっくりこないのだ。骨格や身長雰囲気に合わないなど理由もあるが、髪を短くすると感覚的に歯の詰め物が取れたような、普段あるべきものがそこにない違和感、むず痒さを感じてしまう。
私の基本形態、基本フォームはロングヘアのようだ。あまりフォームチェンジをせず戦う、基本スタイルが一番バランスのいいタイプ。最終回に終盤登場した最強フォームではなく基本フォームで戦うタイプか。アツい展開だ。ああ話が逸れそうなので戻そう。
短くする選択以外の、毎日手間暇をかける動機をこさえようと思う。
面倒なことも動機があれば取り組むことが出来るだろう。
そこで考えたのは海外の絵画、宗教画にはロングヘアが多いということ。
一部の絵画では当時の時代背景を反映した人々の理想の姿を描いている作品もある。描かれた神々や英雄の姿が豊かで筋肉隆々であるのは、疫病の広がりや食料栄養の確保が難しい当時では強い肉体が憧れの的であり、崇める一つの理由であったとか。そう考えるとシャワーも洗髪料も無い時代では豊かな毛髪を保つのは難しかったのではないだろうか。
現代の私たちはケミカルな薬剤を毛髪に塗布したり、機器で熱を与えたりすると簡単に理想の姿を得る事が出来る。各々の理想の絵画に近づくことが出来るのだ。
そう考えるとこの面倒な行為も悪くないのではないだろうか。
よしこの考えでいこう。
言い訳がましくこの文章を風呂上がりに、濡れた髪にタオルを巻き放置し書いていたのでそろそろドライヤーで乾かすことにする。