自分が死ぬかもしれないと思った時、本当にやりたいことが見えてくる
明日病院に行く。
ちょっと心配に思う身体の違和感を見つけたからだ。
診察したら何ともないかもしれないけど、こういう時、たいていネットで調べると、「癌」とか怖い病気の名前が出てくる。
昨日の夜に鼠蹊部あたりにしこりが出来ているのを見つけて、
「あーなんか最近慣れないランニング始めたし、慣れないことして疲れ溜まってリンパの流れが詰まってるだけかしらー」
と思っていたのだが、ネットで生死に関わる病名が次々とヒット。
「やばい」
「私、死ぬかも」
という考えがよぎった。
結構本気で死の恐怖を感じたとき、自分が生きてるうちに本当にやりたいことは何なのか、クリアになんの雑念もなく浮かんできた。
直感的に。
もし癌だと言われたら会いたい人はこの人だな、とか。
死ぬまでの人生この人にそばにいて欲しいな、とか。
子供は産みたいな、とか。(自分が生きた証を残したいから)
私が死んだら祖母も親も残りの人生を明るい気持ちで楽しく過ごすことができなくなってしまうのだろうな。それってすごく親不孝者だから絶対死にたくないな、とか。
(自分の死の恐怖より、親の残りの人生を悲しいものにさせてしまうことの方が嫌だって思ったのは意外な気づき。)
親がこの先一人になってしまわないようにするためにも、孫を残してあげたいな、ますます子供産まなきゃじゃないか!とか。(その前に結婚相手…)
んで、仕事はどうか。
今テックアカデミーで毎日WEBデザインの勉強をやっているけど、もうすぐ死ぬと思ったら、WEBデザイナーになりたいとは思わなかった。
前提として、WEBデザイナーとして一人前になるには、2年くらい必要になってしまうから、生きてるうちに自分の貢献感が満たされる領域に行くのは無理だろうっていうのもあるのだろうけど。
もうすぐ死ぬなら、なんか色々発信したいかな。
日本中いろんなところに行って、いろんな人に会って、取材して、
まだ世の中に認知されていない良さ、魅力を発信して広める仕事がしたいかな。
それはライターになりたいってわけではない。
でも多くの人にその良さをわかってもらうために、文章が必要なのであれば書くし、映像が効果的なのであれば、動画を用意するし、SNSの発信が最適なのであれば、SNSマーケティングを使って動きたいし、その中にWEBデザインは手段で存在するかもしれない。
自分は、人から色々情報をヒアリングすることが好きなのだ。
特に、なぜ今このような人生を歩んでいるのか。みたいなその人の本質的なところ。
このキャリアを選択する際に、どのような経緯があったのか。
意思決定の基準にしたことはどんなことか。
人のこれまでの人生、考え方、今取り組んでいることに対する想いをヒアリングすることは私にとってとても良い刺激になるし、単純に面白いと感じる。
そんで、その魅力を多くの人にも知ってもらえるように発信することを手伝いたい。
私が発信した情報をきっかけに気づきを得られる人がうまれたり、出会いの機会がうまれたり、他の人の可能性を広げられたら嬉しいなと思う。
また、発信されたほうも、本当に良いものをつくっている・良いことをしているにも関わらず、世の中からその価値に気づいてもらえていなかったり、存在が埋もれてしまっていたり、勿体ない機会損失がうまれている状況をなくすことができたらとても嬉しいことだなって思う。
そーゆーことやりたいんだけど、さて、どんな仕事についたらいいのだろう?笑
その活動を進める上で、WEBデザインのスキルが活かせる部分はあるのかもしれない。が、WEBデザイナーになれればできるってわけでもない。
私がやりたいことは、やっぱり今までの自分のキャリアが影響している。
9年間人材系の会社で求人サイトの立ち上げから関わり、事業を伸ばすために色々と取り組んできた。
人材系サービスもまた、WEBを通じて人の可能性を広げる要素があった。
求職者に対して就職活動の気づきになるコンテンツをWEBページに設けたり、掲載企業からその会社の魅力をヒアリングして求人原稿にアップしたりして、価値のある出会いをつくろうとしていた。
そう考えると、人材系の会社でまたキャリアを深めたいのか?と考えると、それも違うような。。
もし余命が短いのなら、その狭い枠ではなく、もっと多彩なジャンルで似たような活動がしたい。地域活性化とか、農業とか、伝統工芸とか、適当に思いついたものを今並べているけれどw
人って期限があったり、制限を与えられると今動かなきゃとか、今やっとかないととか思うよね。人生長いからこそ、失敗したり遠回りしたり、今は休息する時間にしとこうとかって言うこともできるんだけどね。
みんないつ死ぬかわからないし、人は絶対いつかみんな死ぬし、死ぬことをリアルに感じた時にやりたいこと見えてくるから、今回はそう言う良い機会になったということで良かった。
ホントはなんともないってわかってから記事にしようと思ったんだけど、こんなに深刻に考えられる時こそ、どう生きたいと思ったか綴っとかないとと思って書いた。死について考えることは暗いことのようだけど、今後の人生をいかに充実させるかを考えられるプラスの要素もある。
2021/2/17追記
後日病院に行きましたが、なんともありませんでした!
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