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双子育児の葛藤を学習環境デザインの視点で解きほぐす

note第一弾のタイトルが「葛藤」だなんて、暗いわねぇ。笑 もっと明るくて穏やかな話からスタートできたらよかったかな。でも、自分自身にとって意味深く大切な気持ちだったので、書き留めておきたくて、PCを開きました。

1. 双子連れはこの場にふさわしくない?

わが家には1歳3ヶ月の双子がいます。今日は、かれらが生まれて初めて、市が開催する子育て関連の講座に参加しました。1人でふたりを連れて外出することにやっと慣れてきたこと、講座の内容が今知りたい内容だったので、思い切って。いつも通り、2人を両手に抱っこして建物の2階まで上がり、なんとか時間通りに到着できました(拍手)。

さて、講座が始まりました。乳幼児の歯・口の講座です。講師の先生が講義を開始しました。わが家のツインズは即立ち上がり、部屋をうろうろと歩き始めました。隣の席の方のペンを拾い上げ、前の席の方のカバンの中にあるものを引っ張り出し、窓のシャッターの音を鳴らし、2人で順調に遊び始めました。あちらこちらに謝罪してまわりながら、なんとか私の近くに戻ってきてくれるように、あの手この手を使います。しばらくは愉しく過ごしていたようなのですが・・

時間が経過するにつれて、遊び方がパワフルになってきたぞ!2人は8組ほどいた参加者親子のもとをそれぞれに行脚し、その方のペンを触ったり舐めたり、プリントに触れたり、おもちゃを持ち去ったりと、さらに自由に振る舞い始めました。収集がつかなくなってきましたよ。皆さんが真剣に講座を聞いている中で、私が部屋中を歩き回って2人を制止するのも限界(そうしている私も邪魔ですもんね)。困り果ててしまいました。

「やっぱり、来なければよかった。」

講座の内容を聞いている余裕はなく、その部屋全体に帯びる「講座中なのだから静かにさせてほしい」圧・視線を勝手に感じて、私は冷や汗をかきました。そして、なんだかとても寂しい気持ちに襲われたのでした。

2. 甘えていたのは私

なんで私は寂しい思いをしたのか。
期待していたんだ。双子だしって勝手に自分を特別扱いして、きっとみんな大丈夫って言ってくれるって。みんな笑ってOKにしてくれるって。問題ないよって笑ってくれるって。甘えていたんです。でも、みんな真剣に講座の内容を聞きたくて来ているわけだから、「双子だから」と下駄を履こうとしていた自分を直視して恥ずかしい。それはただの傲慢。ごめんなさい。

そして同時に思うのです。私も皆さんと同じように、わが子の健やかな育ちに役立つであろう講座の内容をちゃんと聞きたかったな、と。あの場でどのようにしたら私も十全に講座に参加できたんだろうか。何か方法はあった?

3. 学習環境デザインという視点

大学院で教育学の研究に取り組んでいた中で【学習環境をデザインする】という考え方に出会いました。加藤浩・鈴木栄幸(2001)は、学習環境デザインを「学びのコミュニティをデザインすること」であると述べました。学習環境デザインという考え方は、その個人がどうなればよりよく学習するか、といったように個人に焦点を当てる学習支援のアプローチから、その個人がどのような学習のコミュニティや環境に身を置くことで学美が促進されるかを検討するアプローチへと視点をシフトさせる役割を果たします。それは、私たちみんなにとってやさしい考え方だなと思っています。

特に、私が学んでいた「異文化間教育学」は、多様な文化的、社会的背景を持つ子どもたち(例えば、外国につながる子どもたち、障がいのある子どもたち、多様な性の子どもたちなども含む、と言えばわかりやすいのかもしれません)の学びや育ちを重要なテーマとして議論する学問領域です。社会的・構造的な不均衡を見逃さず、脆弱な立場に置かれてしまう傾向にある子どもたちが、差別や偏見を受けず、公正に学び・育つ機会に恵まれるようにと願う教育学の一分野です。どんな背景があっても、私たち皆が学び、成長することのできる機会創出を目指す異文化間教育学の研究や実践の中で、私は学習環境をデザインするという考え方に出会いました。

学習環境をデザインすることには、次の3つの要素が含まれていると言われています(加藤・鈴木, 2001)。

◯ヒト(組織)のデザイン
◯コト(活動)のデザイン
◯モノ(道具)のデザイン

どのような参加者と、どのような関係の中であれば。私たちは学びを深めることができるだろうか。どのような活動であれば、私たちは十分に学ぶことができるだろうか。どのような道具があれば、学習者の理解がさらに促されるだろうか。

4. 今回のケースで私にできたであろうことを考える

学習環境のデザインという視点を通して、改めて今日の出来事を振り返った時、私にできることがいくつかあったなと、考えを新たにすることができました。

まず「ヒト」。
ひとりで2人の面倒を見ながら参加することに不安があった(不安しかなかった)のであれば、託児の可能性や協力者との事前相談など、あらかじめ動けたことがあったかもしれません。主催者に不安を伝えておくことで、(もちろんできる範囲ではあると思いますが)調整可能な部分もあるのかもしれません。あと、当日集まる子どもたちの月齢がわが子たちと近いかどうかも確認しておけると、場の雰囲気のイメージが湧いて役立ちそう。

次に「コト」。
講座のスタイル(座学スタイル、参加型のワークショップスタイル、対話中心のスタイルなど)は自分が安心して参加できるものかどうか、事前に判断しておくことができたら、変な寂しさを必要以上に感じることはなかったな。(自分の状況にあった講座やお話会を意志を持って選択するということはとても大切ですね。自分で決めて自分で動く、これが納得のいく人生の鉄則。)

最後に「モノ」。
双子がその場でより集中して遊ぶことができるグッズをたくさん準備して置けたらよかったかな。もし自宅からの持参が難しければ、支援センターの方に事前に相談することもできたかもしれないです。

学習環境デザイン論の本来の適用とは少しズレてるかもしれませんが、私が今日感じた寂しさを解体して、次に向かう視界を拓くための切り口として、今回は援用してみることにしました。

5. おわりに:人や状況のせいにしない。自分で動いて自分をハッピーに!

Try & Errorじゃないよ、Try & Dataだよ、と教えてくれたお友達がいました。そう、挑戦してみてうまくいかなかったことはエラーじゃなくて貴重なデータ。データが集まるということは次への道のりが豊かになるということ。

産後のホルモンバランスのこと、キャリアの不安定さ、そして日々の肉体労働(子育ては体力勝負ですね!)によって、気持ちも後ろ向きになってしまうこともあるのが、子どもとの毎日です。多胎育児だから大変とは言いたくない私がいます。だって、子育てはどんな状況であっても大変だから。自分ではない意志ある純度100%の他者と日々を交流しながら生きる時間が楽なわけない。

ただ、多胎育児をしている者が社会的に「マイノリティ」の側面を多く持つということは事実でもあり、そういった意味ではマイノリティとして生きる時間のある私が、そこで感じたことを言葉にして、表現することには少なからず意味があるのではないかと感じています。

マジョリティ・マイノリティという概念は、決して固定された枠組みではなく、二元的なものでもなく、流動的で、複合的。状況によって枠組み自体が変容する柔軟なもの。だから、誰もがマジョリティ側にもなるし、マイノリティ側にもなりえる。

このシチュエーションにおけるマジョリティ寄りの立場から見たら、この出来事はどのように捉えられるだろうか。マイノリティ寄りの立場から見たらどうだろうか。そんなふうに自分の視点・視座をフレキシブルに移動させて、そのこと自体への感覚を研ぎ澄ませて、人の多様な背景・歴史性に対する感受性を高めるということに、私はチャレンジしていきたいなと思います。

自分にも他者にもやさしくあれたら、と思うから。

子どもたちとの暮らしの中で、たくさんのことを経験して、想定外の出来事も学びに変えて、たのしんでいけたらいいなと、改めて今日そう感じました。

引用文献
加藤浩・鈴木栄幸(2001)「 7 章 協同学習環境のための社会的デザイン」『 認知的道具のデザイン』 pp.176-209,金子書房

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