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子どもたちが生み出す変幻自在な誕生日パーティー:共生の道のりと一回性の美しさ

誕生日が近づくと、小学生の娘は自分の誕生日パーティーを企画します。今年も張り切ってプランを練り、買い出しに出かけて、お友達を招待して日程を調整し、準備をしました。

さて、今年も愉快なパーティータイムが無事に終了したのですが、昨年のパーティーとの間に違いがありました。そしてその違いの中に、【他者とかかわり、他者と共に生きる】ということについて考えるヒントが隠れているように思いました。

そこで今日は、
●娘の誕生日パーティー、昨年と今年の違い
●そこから見えてきた、「他者との共生」の一様相
について、

私の博士論文
川平英里(2024)授業場面に生じる「対立」を契機とした共生に関する実証的研究
での着想を踏まえて書いてみようと思います。

1. 昨年のパーティーを振り返る

昨年は、自宅前のスペースにビニールシートを敷いてパーティー会場にしました。友達(低学年から高学年)やその兄弟、保護者の方も数人来てくださり、賑やかなパーティーになりました。プログラムはこちら。

  1. ケーキでお祝い

  2. 景品付きビンゴゲーム

  3. ボール遊び

  4. 自由時間

全てのプログラムが順調に進み(←ここ、重要)外が暗くなるまで大盛り上がり。みんなのハツラツとした笑顔が忘れられない素晴らしき思い出です。

2. 今年予定していたプログラム

そして今年、娘はこのようなコンテンツを用意していました。

  1. 自分の紙コップをデザインする工作タイム

  2. カードゲーム大会(神経衰弱, UNO)

  3. ケーキのデコレーション→ケーキを食べる

  4. 景品付きのボールゲーム

  5. 自由時間

3. カードゲームはサクッと割愛

さて、時間になると続々とお友達が家に集まってくれました。1. 自分の紙コップをデザインする工作タイムはチャチャチャッと終了し、2.カードゲーム大会(神経衰弱, UNO)へと移ります。みんなが席についてカードを取り出したタイミングで、一人が叫びます。

「あ!俺、16:30に帰んなくちゃいけない!」
「私も!16:40まで!」

すると娘が言いました。「じゃあ、カードゲームやめてケーキにしよ!」

ということで、カードゲームはサクッと割愛され、3.ケーキのデコレーションタイムが始まりました。

4. 輪になって、話し合って、どんどんケーキが出来上がっていくよ

今年のケーキは娘のリクエストでみんなでデコレーションするアイスクリームケーキです。みんなで土台となるアイスケーキの上にさらにアイスクリームを乗せて、チョコなどのトッピングを飾って・・。

こっそりみていると面白いですね。
・誰がどのアイスクリームを食べる?
・アイスクリームの数が人数分ないけどどうする?
・誰がどのトッピングを担当する?
・ネームプレートに名前を書くのは誰?どうやって書く?
ケーキを前に課題がわんさか出てくるよ。都度みんなで相談したり、自然とペアになって話したり、一人がどんどん進めたり、さまざまな参加の形がありますね。

意見がぶつかることもあれば、あからさまに不快感を示し合うこともある。みんなケーキに向かって真剣だから考えが分かれることもある。仲介に入りあったり、譲りあったり、自分の希望を押し通したり。我慢したり、希望を聞いてもらえたり・もらえなかったりしながら。みんな柔軟に、確かに、その場に参加している。

そうこうしているうちに、なんだかみんなの息が合ってきた様子(これは目に見えないその場の”バイブス”からそう感じた)。誰か一人が明確に仕切ったり導いたりしたわけではないけれど、トッピング担当チーム、ネームプレート担当チーム、アイスクリーム担当チーム、ろうそく担当チームなどの役割がやんわりと誕生(emergeまたはgenerate的なニュアンス)していて、いつのまにか立派なケーキが出来上がっていました。

そして、その時ふと思い出しました。昨年は結構私がしゃしゃり出て、ゲームタイムもケーキタイムを私が仕切っていたなぁ・・

5. そして、その後のボールゲームも鮮やかに割愛(笑)

さて、ケーキを美味しく食べ終わって、次は景品つきボールゲームの時間。娘は当初こんなゲームを考えていました。
・得点の決められた箱にボールを投げる
・ボールが入った箱の得点の分だけ景品をゲットできる

すると、子どもたちが何やら新たに閃いたようです!
「ねーねー!やっぱり外で遊ばない?」
「いーねー!」

みんな大賛成。ボールゲームをしようと考えていた娘の顔はどうかな?とチラ見してみると、「そうしようー!」とニッコニコ。というわけで、ボールゲームもサクッと割愛となりまして、ボールゲームの景品をみんなで山分けするという斬新な展開となりました。

6. 外あそび、大盛り上がり!

外で何をするか、みんなで話し合っている様子。

今度は鬼ごっこする?
いいねー!
えー私は鬼ごっこはやだー!ジェイボーにするー!
次はだるまさんが転んだにしようよー!
じゃあそれが終わったらボールしようね!

目まぐるしく、どんどん展開していく子どもたちの遊び。みんなで思いついて、みんなで話し合って、みんなで実行に移す時間。参加したくない遊びの時には少し離れたところで別の遊びに勤しんでいる。遊びはどんどん発展し、ルールもどんどん付け足され更新され、参加者は入れ替わり立ち替わり、入ったり抜けたり、本当に変幻自在ですね。誰かがぎゅっとコントロールしようとしていては生まれてこない、想定外の展開のなかで、子どもたちは波にのる。こうしたダイナミックな流れそのものを愉しんでいるようにも見えます。

そうこうしているうちにあたりは薄暗くなり、17時を告げるチャイム。みんなそれぞれお家に帰っていきます。ありがとう!またねー!

「あー!すっごく楽しかったーーーー!」娘は本当に美しい眼差しで、帰路につくお友達の背中を見送っていたのでした。

7. 昨年と今年の違い

その場に集まったみんながかかわる過程で、パーティー自体がどんどん生み出されていく。みんなのパーティーになっていく。

この点が、昨年の誕生日との大きな違いでした。昨年は準備したプログラム通りに進むように、用意したことが達成できるように、私(大人)もどんどん介入し、なんなら私がコントロールしようとしていた部分も大いにあったと思います。最初から最後まで、主催者のパーティーに参加者が参加してくれている構造。

でも、今年は違いました。私は安心・安全な場であるかだけを見守り、ひっそりとその場に居合わせました。そして、子どもたちの会話が「みんなのパーティー」をどんどん形作っていくプロセスを目の当たりにしました。

2度と同じ展開は生まれない。あの時、あのメンバーで、あの会話、あの言い争い、あの閃きの積み重ねがあったからこその。譲れないところ、譲れるところ、もちろんあっていい。アイデアを出してみてそれに対する反応から次の展開が生まれていく。光も影も全部ある。一回性って、美しい。

8. 子どもの遊びの中の「共生」を考える

そんなふうに子どもたちのかかわりを描出してみると、そのプロセス全体に「他者と関わって共に生きていく」ということの一様相を見せてもらったようにも感じたのです。

平沢(2014)は、佐藤(2010)の提案を発展させて、共生を次のような図式で示しました。  

共生=A+B→A'+B'+α

↑はーい、これテストに出ますよー!笑

共生というのは、Aという文化(集団、人)とBという文化(集団、人)が相互作用することで、Aも変化し(A'となる)Bも変化し(B'となる)、そして新たな価値としてのαが創出される営みである、と。

子どもたちは遊びの中で、関わりの中で、自分をどんどんアップデートさせながら(A'やB'になっていく)、遊び自体も生み出しながら(+α)、「共生」しているんだなぁ、なんて思うわけなのです。

子どもたちがどっぷりと参加して、遊びを生み出し続ける。かれらがその時間の中で、喜怒哀楽を何度も何度も経験して、そしていつか、その先にある【他者とかかわる歓び】に辿り着けますように。

お誕生日おめでとう。
来年のパーティーも楽しみだね!

参考・引用文献
佐藤郡衛(2010)『異文化間教育― 文化間移動と子どもの教育』明石書店.

平沢安政(2014)『未来共生学の可能性と課題』 未来共生学 I pp.51-79.

川平英里(2024)授業場面に生じる「対立」を契機とした共生に関する実証的研究.

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