私の心が風邪を引いたらしい
突然、会社に行けなくなった。
正確には在宅勤務なので、単純に起き上がれなくなった。
朝起きても起き上がれなかった私はそれを花粉症のせいにし、まずは午前半休とすることにして眠った。
お昼前に起き、眠気は飛んだ一方で、さらに憂鬱になっていることに気づく。
なんだこれは・・・と思いながら、病院に行くので全休にするとチームメンバーに告げ、まっさきに調べ始めたのはアレルギー科ではなく、心療内科だった。
こんなふうに憂鬱に襲われるのは、なにも初めてのことではなかった。
幼少期から何度も「自分が生かされている意味」を問うていたし、社会人になってからも、少なくとも4度ほどは、病院にかかって休職することを考えていた。
だけども過去の私は、私にそれを許さなかった。
「強くあること」が正義だと思っていたし、「落ちていること」を認めることは、受け入れられなかった。
(何度も何度も「心療内科」というワードを検索はしていたのだけれど)
なのに今回は、自分でも驚くほど、自然に心療内科に行こうと決めたのだ。
今回の不調のトリガーになったことが、今までに比べて大きかった、とかそういうことでもない。
ただ、大人になってきた私は「強くある必要」について、
ようやく立ち止まって考えられるようになっていた。
ここ1か月、私的な環境の変化に加え、上司からのきつめの指摘が重なっていた。
心から尊敬する上司。なんとしても期待に応えたいと、もがきながら私は奮闘していた。
それがある日、大声で怒鳴られたのだ。
HSPで、かつ親にもあまり怒られずに育った私にとって、大きな声で怒られることは、脅威以外の何物でもない。
今までよい関係を築いてきた上司に対し、私は速攻で心を閉ざしてしまった。
それはもう、驚くほどのスピードで。
そこからは早い。
その日は怒りを怒りで受け止めるかたちになり終始憤慨していたが、翌朝あたりから憂鬱が心を覆うようになった。
楽しいと心から思っていた仕事が、途端に鼓動を早めるものになった。
そして今日、私は起き上がれなくなったのだ。
初めての心療内科に到着した私は、すでに憔悴しきっていた。
(いい天気だったのがせめてもの救いだった)
そこには私の想像とは違う、とてもおしゃべり好きな先生がいた。
すでに愛想笑いをする元気なんてどこにもなかったのだけれど、あの手この手で笑わそうとしてくるお茶目な先生だった。
いろいろ話を聴いて、その倍くらいの自分の話をしてくれたが、最後にきっぱりとした口調で告げてきた診察結果は「適応障害」だった。
「診断書もすぐに出せるが『あなたはどうしたいか』」と言われ、いや某R社の上司かよwと思う余裕がでてきた私は、とにかく片付けなければいけない仕事が山積みなので、とひとまずお断りし、服薬から始めることにした。
「私が弱いからこそ、弱い人のために何かしてあげられることがあるんじゃないかと思うんです」という私に、大賛成してくれる先生。
そうそう、だからこそ、たくさんの人を守って救えるんですよ、と。
初めは言葉をこぼすごとに涙もこぼしていたが、
きっぱり診断されてしまうと、帰り道は比較的足取りが軽くなっていた。
ありがとう、先生。
こんな自分を記録しておかなければと、恥ずかしげもなく文字にしてみる。
私がいつかこんな状態を笑い話にできるようになって、同じような人を救えたら最高だ。
「強くあること」は決して正義ではない。
人には人のペースがあって、自分が心地よいところで
強さでなく、自分の「強み」を活かしながら生きればいいのだ。
みんな頑張っている。生きていてえらい。
弱い私も、あなたも、最高だ。