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ぜんぜん違う世界の人を尊重するということ。

一流は一流の人とつながって、二流は二流としかつながらない。俺は一流と繋がってんだ。って言う人と話をした。世界的にも有名な方で、ある業界の第一人者だそう。

一流も二流もなんもないですよ
みんなおんなじ平等ですよ
と心の中ではつぶやきつつ

わたしの生きてきた世界とは、全く違う世界を生きていらして、何よりその方の自信の強さと会話力が、なんだろう、なんというか、一周まわってもうアミューズメント感覚でおもしろくなってしまった。

気合と根性論でおっきなお金をまわしながら、バリバリイケイケ生き抜いてきた方のようで、わたしの人生とは全くの別世界だ。
ふと会社で保健師をしていた頃を思い出した。

当初、わたしは職場の人間関係問題、業務量の過多、本人の才能と業務内容の不一致などなど、、、で体調不良になった社員のフォローを行っていた。

その中で、わたし的対応困難さを感じる点があって、それが気合系上司の強めの価値観だった。
気合と根性で生き抜いてきた上司は、体調不良となる部下の気持ちをどうやっても理解しがたいらしい。(もちろん表向きは理解を表現しているが)

双方が出来るだけ歩み寄れるように、双方の気持ちを擦り合わせていくコトが必要だったのだけど、当人は、ふつうに上司の気持ちや職場への影響を理解していて、というか理解しているから申し訳ないと思って具合が悪くなっているのだけど。上司(もちろん全員ではない)側はというと、コレがほんとにもう、もう、なかなか苦しいものだった。

気合が足りんとか、仕事への想いが足りんとか、プロ意識が足りんとか、弱すぎるとか、当人を守るなとか、自信満々の強い口調で繰り広げられる言葉を聴きすぎて、いつしか上司側を敵のように感じたりもしていた。

たしかに、すべてを神のように上手く出来る人も居るだろうし、根性でできるようになる人も居ると思う。それが出来た人はそうゆうものだという自信があるのだと思う。
でも、それが全人類に当てはまるなんて、それはちょいとあなたおかしな話だわよ、と何度思ったことだろう。

(大人の発達特性についても、ようやっとここ最近でメディアにもとりあげられるよになってきたけれど、私見ではそれが=千差万別の個性という認識にまではぜんぜんいってなくて、障害=異常の範疇に置かれて話が進められている段階でしかないことがなんとも悔しい)

だけど一つ思うのは、当時は自分もニュートラルじゃなかったということ。

たぶんその上司たちへの怒りは、不登校だった自分=いわゆる世間的普通じゃない生き方をしてきた自分自身、に向けられた言葉のように勝手に感じわきあがったものだった気がして。
だからなおさら、戦おうじゃないか!の戦闘モードに入っちゃったのだろうなあ。

そんなことをぼやっと思いながら、月日は経っていたのだけれど、今日の出会いはその答えを示された気持ちだった。
当時の自分には、異なる価値観をアミューズメントと感じられるくらいの余裕がなかった。ぜんぜんニュートラルじゃなく、むしろ無意識に彼らの価値観の否定からはいり、その価値観を形成させるに至った彼らの背景をおもんばかることも充分にはできていなかった。(むしろこの問題は、時代と社会の問題なのに。)

あの時のわたしは、言ってることは真逆でも、上司が放つエネルギーと本質的にみれば一緒だったんやなあ〜。うわ〜、同じことやってただけやん、わたし。そりゃ苦しいし解決できんわ。
とかって気持ちが、今ぽこぽことわいてきている。現場を離れると、こうも冷静になれるもんなんだ。

一流も二流もなんもかんもないですよ
みんなおんなじ平等ですよ

とやっぱりそこは、ごめんけれどゆずれんから、心の中でつぶやくけど、そうかーそんな風に強い信念持って必死に生きてこられたんやなあ〜と素直に思えた今日が、なんかめでたい。

この自分でもう一回、あの頃をやりなおしたら、言うことは同じでも、何かもっと歩み寄れるような展開になっていたかもしれない。

いつか分かり合える日がくるもんなのか、わからんけれど。わたし的には、分かり合って讃えあう世界がみたい。

すべての人に
さちあれ!





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