#8 闇が闇ではなかったと気づく時
今日は久しぶりに摂食障害の渦中だった時のことを思い出していました。
過去の辛かった思いは、現在の幸せな感覚に上書きされて、だんだんと蘇ってくる事が少なくなり、当時何を思っていたのかも薄れて来ているのですが。それでも当時のことを思い出すと、胸がぎゅっとなり、冷え冷えとした感覚や悲しさが蘇ってきます。
1.自他の境界を引くということ
なぜ当時のことを思い出したかというと、最近、自分の周りの人に対する思いや向き合い方で、「あ、これはいかん!」と感じる出来事がありまして。。。なぜだろう?と掘り下げて行くことで昔からのパターンと再び出会ったのです。
私は子供の頃から周りの人との心理的境界線が薄い部分がありました。
本当にその人がどう感じていたかはわかりませんが、周りの人の感情や思いを察して、それを自分の事のように感じたのです。だから、相手を悲しませないように、負担をかけないようにと気を張っていました。そして大切な相手に対しては、その辛さに寄り添いたいと強く思う傾向がありました。
相手が言葉にしていない事も、この人はこうして欲しいんじゃないか?と勝手に気遣ってみたり、こんなことを言ったら迷惑だったり負担に感じるんじゃないかと思って言葉を飲み込んだり。
そして苦しくなってしまっていたのです。
子供のころから思春期の頃、自分の周りにいる人達が、境遇は恵まれているのに(経済的にも、与えられている環境の面でも)、あまり幸せそうに見えないなと感じていました。
すでに多くを持っているのに、人を羨んだり。
とても素敵な人なのに引け目を感じて、自分を卑下したり。
現状に満足できず、もっともっとと求めてしまうのです。
外から与えてほしいと求める場合もあるし、自分の能力、優しさ、力が足りないと感じ、頑張り続ける場合もありました。
そういう言葉にならない渇望感、分離の感覚、光の見えない暗さを感じていたなぁと思い出したのです。その渇望感や分離の感覚、暗さは、自分の中にあるものを、外側に投影していたのかもしれません。
そして、その暗さを感じないように。自分の中に起こる痛みや、飲み込み続ける苦しさを感じないように。だんだんと自分の感覚や感受性を閉じていき、命そのものである肉体、骨についた肉が煩わしく削ぎ落としたいと、拒食を続けてきたのでした。
今思うと、我ながらよくやったなぁと思いますが、当時はそれが惟一の生き残り戦略だったんだと思います。
私のライフ・レッスンの一つは自他の境界を引く、自分以外の人の感情や価値観を尊重するということなのですが、最近つい踏み込み過ぎて相手を傷つけてしまったなぁという出来ごとがあり。
その相手はちゃんとそれを伝えてくれて、おかげで気づく事が出来たので、めちゃくちゃ感謝!ですが、この件以外でも意識せずやってしまっているんじゃないかと、改めて我が身を見てみたのです。
相手の感情を尊重するということ、自他の境界を引くということは、自分の感じたことを否定するのではなく、これを感じているのは相手ではない、他でもない自分だと認めることです。相手がどう感じるか、感じているかは相手の領域であると意識することです。
だから、相手の気持ちを察する、こうではないかと慮ることは、気遣う優しさではなく、領域侵害にもなりうるなぁと反省したのです。
自分をまるごと受け入れる。
そして相手の境界を尊重する。
すごくシンプルなことだけど、難しいところでもあります。
2.自分を何よりも優先する
もう1つのパターンは相手を好きであるほどに、自分より相手を優先してしまうというもの。
幼少期から思春期にかけては、母に対してやってきたこと。
相手の都合にすべて合わせる、自分はひたすら待つ、自分の気持を伝えたり、リクエストをしないという癖が、最近では身の回りの大事だと思う人に対して出ているな、と感じています。
他の人には、「何よりも自分自身を大切に、希望を叶えてあげることが、周りの幸せにもつながるんだよ」と伝えています。そしてそれを信じているのに、自分に関しては何より自分を大切にする、自分を優先することが出来ません。
自分が多少我慢しても、相手がそれでハッピーなら、それでいい。それが自分の幸せでもあると思ってしまっているのです。
でも、この在り方はやはり違う、無理をしている感覚があって、もっと楽に、ナチュラルにいられるように、現在絶賛セルフワーク中なのです。
そのセルフワークは自分に対して常に問いかけること。
本当にそれ(相手を優先すること)を望んでいるの?
本当はどうしたいの?
どうしてほしいの?
この問をしっくりくる答えが出るまで問いかけ続けます。
そしてその答えが出てきたら、もし相手に自分の希望をストレートに伝えたら何が起こると思っているのか、何を恐れているのかを問う。というもの。
理想的にはここで出てきたリクエストを相手に伝えられると良いのですが、それが出来なくても、自分が自分の気持ちをちゃんと聞いてあげられた。というだけで心のわだかまりは解けていきます。
自分の希望をしっかり意識する、ということは自分と相手の感情感覚をごっちゃにしない、境界を持つということに繋がります。(相手が傷ついたり、悲しんだり、大変だったりすると、自分も辛くなってしまうので、つい相手を優先してしまう。つまり相手の感情と自分のものも境界が曖昧になっているのです。でも、「相手はこう感じるかもしれないけれど、自分はこうしたい」を明確にすることで、「こうしたい」を実際するかどうかは別として、自身の中での線引が出来るようになるのです。)
3.闇は闇ではなく・・・
そしてタイトルの「闇は闇ではなかった」の意味を。。。
子供の頃に恐れていた自分の中の暗い部分。それは見たくないと思っていた時は、何か触れてはいけないもの、汚くて怖いものでしたが、今それと向き合い続けて気づいたことは、それは宇宙の深淵に似ているということでした。
暗い部分、痛みは誰もが抱える部分であり、それがあるから他者とつながる事ができ、相手を理解することができる。
一見自他の境界を引くということと真逆のようですが、自分の中に見たくないものがあるように、誰の中にも触れられたくないものがある。そしてその痛いと感じる感覚は理解することが出来る。だからこそ、相手を尊重することが出来る。そして相手に闇があることを受け入れられる。
そう思うと、闇は決して恐ろしいものではなくその中に沢山の幾千幾万それ以上の星々のきらめきを含んだ宇宙の深淵を覗き込んでいるみたいだなぁ。。。
そうふっと、感じたのです。
最近少しずつ読み進めているインテグラルサイコセラピーの本でも、セラピスト(私は心理セラピストではなく、コーチですが)自身も自分のステイトやパターンを知り、統合し続けることが大切と繰り返し書いてあります。その文脈でいうと、日々の様々なシーンで自己の状態(ステイトやタイプ、反応のパターン)に関する気づきがあり、成長させてくれていると、改めて感じて、生きるってすごい!と感謝する日々です。
今日はとりとめのない呟きとなりましたが、最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
True Self ナビゲーター
清水えり