流れ星だったことにする
流れ星を見た気がする。
帰り道、今日はしんどい日だった、しんどい、
放心状態で歩く。
ぼんやり空を見上げていると、キラッと何か流れた。
流れ星、、まさか、こんな周りの明るいところで見えるものなのか。
しんどい理由は色々のチリツモだろう。
焦燥感や誤解から来る苛立ちをあからさまに人に表してしまった。また別のところでは反対に苛立ちを表された。
物事の好転の兆しのちらつき感じる中で些細なことがとても響いてくる。心臓が痛い。
他人に自分の感情をいちいち振り回されるな。
しかし他者はいつでも鏡である。
人から向けられる違和感は自分の中に歪みが生じているということだろう。
見直しのタイミングと捉えよう。
最近は直感が冴えている。どうでも良いくらい小さな想像が実現する。
映画アメリの中で、アメリがする次の瞬間この人はこう動くという空想が現実化する感覚。
それに似た感覚をニアミス含め何度か繰り返している。
夢の知らせも最近また見るようになってきた。夢の知らせというのは私の目覚める直前に静止画で見る夢であり、勝手にメッセージだと思っている。
あまりこういうことを言うと本当に空想少女めいてくるので止める、そして我は少女でもありませんでした、失礼。
しかしながら、日常には良し悪しに関わらず虫の知らせのようなものが溢れている。
それに気づくことができると物事が少しだけスムーズに進む。
正直なところ私が見たものが流れ星でもそうでなくとも、どちらでも良い。
けれども流れ星だったとすれば背中を押されている気がする、肯定感が上がる。
なのであれは流れ星だったことにする。
画像は今描いている仕上げたいのに仕上がっていない絵の一部、焦燥、涙
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