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立野正裕 百年の旅ー第一次大戦 戦跡を行く

立野先生の著書再読シリーズの第5弾。今回は第一次大戦集結の1918年からちょうど100年後の2018年に出版された「百年の旅」です。読むまでにひとつの流れがあったので、ここ1ヶ月弱のまとめも兼ねて綴っていきます。

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コテンラジオ「第一次世界大戦」と高校歴史

コテンラジオで配信中のシーズン22・第一次世界大戦。このシーズンからサポーター特典としてアーリーアクセス(いっぺんに全話聴ける)ができるようになった。毎週2回の配信を生きる糧にしているのに、一気に全話聴いちゃうなんてもったいないかな!? バチ当たるかな!? とか思いもしたけど、結局2日くらいかけて一気聴きをしました。おもしろすぎるのでしょうがない。

日本人にとって身近な戦争は第二次世界大戦(日中戦争からの太平洋戦争)で、私自身も幼いころからずっと興味を持ち続けてきた。特に沖縄戦と、ユダヤ人差別、ホロコースト。「第一次」と「第二次」と切り分けられていることについては当時あんまり気にしてなかったけど、高校で日本史を選択していた私は、日本ががっつりコミットしているのは第二次だからという理由で第一次をあんまり勉強しなかった。このあたり、世界史を選択していたら全然ちがったと思う。

いきなり話が逸れるようだが、高校2年以降日本史を選択してよかったことは、古代史に興味を持てたことだろうと思う。高校に入るまでは父の影響で戦国時代がいちばんおもしろいと思っていた。天皇の歴史や武士の勃興、明治維新以降の近代史も興味深く、高校で日本史を勉強してよかった。

でも「世界の中の日本」という視点は日本史だけ勉強していても育たないので、やっぱり世界史の勉強が必要だったと思う。1年のとき必修だった世界史Bでは古代〜モンゴル帝国ぐらいまでで終わった気がする。日本が(コテンラジオでいうところの)ライジングするまでにはまだまだ時間がかかる。2年以降も世界史を選択した人は、中世史〜現代史までを高校で学んだはずで、私は大学に入ってから勉強し始めたので結構スロースターターだったと思う。

世界史を勉強すると、コテンラジオでも繰り返し言われているように「第一次世界大戦と第二次世界大戦は一連の戦争なので切り分けて考えるべきではない」ということがよくわかる。コテンラジオリスナーは第一次世界大戦シリーズを聴き終わったときに強く実感するはずだ。


映像で知識を補完する

シリーズ全編聴いたあと、深井さんが紹介されていた「1917」を観ることにした。プライムビデオで無料配信していたのですぐに観た。

こちらも近々観ようと思う。⇒「They Shall Not Grow Old

ちなみにこの週末はソンムの戦いを題材にした「ザ・トレンチ<塹壕>」を観るつもりだ。


立野正裕「百年の旅」

さて、ここから本題。まずは本書の目次を紹介したい。

題辞 朽ちた道
序章 第一次大戦から百年
第一部 イタリアへの旅 『武器よさらば』紀行
第二部 フランドルへの旅 失われた足跡を求めて
第三部 ルーマニアへの旅 『ルーマニア日記』と『処刑の森』紀行
終章 「生きる」思想が立ち上がるとき 沖縄から 

つまり第一次大戦で展開されたイタリア戦線、西部戦線、東部戦線それぞれへの言及が網羅されているのが本書の特徴の一つといえる。


◆第一部 イタリアへの旅 『武器よさらば』紀行

コテンラジオではイタリア戦線への言及は少しだけだったが、戦争文学の傑作「武器よさらば」の主な舞台はイタリア戦線だ。第一次大戦は「平和のための戦争」が大義名分に掲げられ、だからGreat War(グレイト・ウォー)と呼ばれた。若者たちは平和のために、国のために、あるいは冒険心を満たすために、意気揚々と戦場へ発って行った。けれどもそこにあったのは塹壕、砲弾、毒ガス、戦車、悲惨、悲哀、死、、、だった。

「脱走」もしくは「逃亡」というモティーフに関して、ただ『武器よさらば』だけが、ほとんど形而上学的と言ってもいい次元を垣間見せているということに、私はあらためて思いを馳せないではいられません。

第一部で語られていることは、この「武器よさらば」を中心とした読書論でもある。著者はスイスやイタリアなどこの小説の舞台となった土地を実際に訪れている。そこで見たり聞いたりしたことを織り交ぜながら、小説を丁寧に読み解いていく。


◆第二部 フランドルへの旅 失われた足跡を求めて

イギリスの文学者ラドヤード・キプリングが本部の主人公である。しかしキプリングは1915年、フランスのルースの戦いで18歳の一人息子ジョンを失った。はじめ遺体が特定されず、無名戦士の墓に埋葬されているであろうことしかわからなかった。それを父キプリングが必死に探すさまを描き出しつつ、第一次大戦の西部戦線の実態を読者に知らしめてくれる。
ジョン・キプリングと著者を結びつける1992年という運命的な年についてのくだりは、ぜひ本書を読んでいただきたい。

第二部第五章は「オットー・ディックス紀行」と題され、ドイツ新即物主義画家オットー・ディックスの作品を見るために、シュトゥットガルドの市立美術館へ赴いたときのことが書かれている。私はこの画家のことを知らなかったのだが、彼はソンムの戦いに参加していたらしい。それで戦場の惨状を絵や版画で表現し、ナチスが政権をとると退廃芸術家の烙印を押された。

第一次大戦をあらわしたすごい一条に出会ったので引用したい。これは映画「1917」を観た人にはとてもリアルだと思う。

それは海抜ゼロメートルの土地で泥濘にのたうつことであった。四六時中轟く砲声の下でかりそめの眠りを貪ることであった。機関銃で撃ち殺されたまま鉄条網にぶら下がることであった。砲弾で五体が吹き飛ばされることであった。腐乱し悪臭を放つことであった。その死体や悪臭のなかで食事をすることであった。そして、明日は自らもウジやネズミに食われて白骨と化すことであった。戦争とはこの一連の過程以外のなにものでもないことをディックスは知った。大義も栄光も全くの絵空事にすぎなかった。


◆第三部 ルーマニアへの旅 『ルーマニア日記』と『処刑の森』紀行

これは旅行エッセイ(と書いてしまうと軽々しいが)としてとんでもなくおもしろいので、私がごちゃごちゃ書くよりも読んだ方が良い。

ちなみに著者が旅をするルーマニアは、オスマン帝国やハプスブルク帝国の影響下におかれるなど歴史的に複雑な国だ。こういった経緯はコテンラジオ的観点が理解の助けになると思う。この紀行でもそういったルーマニアがたどってきた歴史の片鱗をみて、知的好奇心を刺激されることは間違いない。

第一次大戦が生み出した文学のうち、ハンス・カロッサの「ルーマニア日記」リビウ・レブリャーヌの「処刑の森」をめぐって、当時ハンガリーと国境を接していたパランカという村を旅して回るのだ。国境線付近で起こる悲劇・・・「処刑の森」はレブリャーヌの弟の運命を元に書かれた。

大戦勃発当時のルーマニアの民族主義的な血気、それに取りつかれた若者たちの思考法と行動、やがてかれらを襲った当惑と苦悩。作家の弟もそれに巻き込まれたのである。他民族からなる帝国主義のもとで、民族主義的なアイデンティティを模索するという少数民族の矛盾と苦闘に起因する古来からの典型的な悲劇にほかならなかった。

一次、二次にわたる帝国主義戦争の実相を観察することによって、「宗主国における帝国主義的本性がいかに利己的で冷酷なものであったかが分かる」とある。代表例としてチャーチル(当時海軍大臣)が立案したダーダネルス作戦が紹介されている。
宗主国イギリスが、オーストラリア・ニュージーランドの合同部隊をおとりに使ったのがダーダネルス作戦で、この辺りはいずれコテンラジオでもオスマン帝国の続きのシリーズ(ケマル・アタテュルク)で扱ってくれるのを楽しみにしている。


◆終章 「生きる」思想が立ち上がるとき

さて、本書の締めは2018年6月23日のエピソードである。6月23日は沖縄慰霊の日だ。この年の沖縄全戦没者追悼式で自作の詩を朗読した少女とその母、祖母、の話が語られている。私も当時中学三年生だった相良倫子さんの朗読に感動したものの一人だ。

第一次世界大戦終結の2018年から100年後に日本の沖縄で中学三年生の少女が声も高らかに読み上げた「生きる」という詩。あとがきに「欧米人にとっての百年の道は、われわれ日本人にとっては七十三年の道」とある。

歴史を学び、文学や絵画や映画などから感じ、非暴力の可能性を見つめていく必要がある。

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