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映画レビュー「プアン/友だちと呼ばせて」

5月のタイフェスティバルをきっかけにこの映画の存在を知り、公開を楽しみにしてきた。タイは2度訪れたことがあり、タイ料理が大好きだ。でもそのほかのカルチャーにはあまり触れてこなかった。結果、とても楽しめた。音楽もよかった。

タイで暮らすウード(Aood)とニューヨークでバーを経営するボス(Boss)という「かつての親友」同士が、ウードの余命宣告をきっかけに、ウードの元カノに「返したいものを返す」ドライブの旅に出ようという筋書き。

映画冒頭はボスのバーの場面が描かれ、経営者兼バーテンダーでもあるボスのシェイカー捌きや色とりどりのカクテル、シャンパン、照明のキラキラ、ニューヨークの街並みなどとにかく派手なライティングが目立つ。実はこの映画の半分はニューヨークのシーンで、ウードとボスの出会いもタイではなくニューヨークだった。
店を閉めたあとでバーの客と絡み合っているところにボスの携帯が鳴る。それはウードからの電話で、会話の調子から彼らが疎遠だったことが伝わる。バンコクとニューヨークという距離だけではないギスギスした感じがそこにはあった。

ウードが白血病を患っており、死ぬ前に望みをかなえてほしいというオファーをボスはしぶしぶ引き受ける。ラジオDJだったウードの父親もまたガンで亡くなっていた。その形見のBMWには、父の番組の録音テープが積まれている。カーステレオから流れてくる音楽もまた魅力的だ。
今、時代はPodcastなどの音声メディアで盛り上がっている。同時にタイの若者の間では、テープやレコード、カメラなどのアナログでレトロなものが流行っているという。そういったカルチャーをとらえた演出や映像が目耳を楽しませてくれる。

元カノのアリスはNYでダンサー修行をしていた時にウードに出会った。一緒にタイに帰国したが二人は結局別れてしまう。当時ウードはボスとバーを開く約束をしており、ボスを裏切った格好にもなっていた。ここでウードとボスがどう決裂したのかも知ることになった。なんかリアルだな。

アリスはウードと別れたあとダンサーの夢を諦め、今は寂れた感じのする田舎町で高齢者を相手にダンスを教えている。ウードに会いたくなかったのは、今の自分が当時語り合った夢に敗れた姿を見せたくなかったからかもしれない。
初めはウードに会うことを拒んでいたアリスも、ボスの説得によってウードと再会をはたす。ウードも自分は会わなくていいと言っていたが、これもボスに促されて会うことになり、過去の後悔を謝罪する。
ふたりの再会はノスタルジーに浸れる何ともエモいものになったと言えると思う。ダンスのシーンは恋人同士が踊っているようでいいシーンだなと見惚れた。

自分は役目を終えたと思ったボスは、ダンススクールで見つけた女の子のところに行こうとする。「元カノが一人とは言ってない」と言われ、二人目、三人目の元カノに、北はチェンマイまで会いにいく。会えたり、途中で病状が悪化したり、会えなかったりする。
父の墓にも立ち寄った。大きな川にかかる橋の上を走りながら、遺灰を撒くシーンがとてもよかった。そしてウードとボスの車を後ろから追い抜いていくお父さんの車。ウードは父が死ぬときNYにいたから、しっかり別れられていなかったのだ。これも大きな後悔だった。

ウードの旅は終わった。ボスは「俺の家族に会ってくれよ」と地元のパタヤに車を走らせる。A面の再生が終わったと思ったらカセットがひっくり返って今度はB面が始まる、この作りには唸らされた。B面はもちろんボスの番。彼がどんな青年時代を過ごし、どんな人と恋をして恋が終わったかが描かれ、NYでのボスとウードの人生が交差するところも描かれる。前半より後半のほうが俄然前のめりで観られた。

旅をしている現代もボスとウードはまだ結構「若者」だが、出会った当時はまだ大学生くらいの年代だった。プリムという女の子をあいだに挟んだ三者の関係は、ボスの特殊な境遇をのぞけばよくある人間関係だ。

若いときって相手のことより自分が大事。相手を尊重したり譲歩したりがうまくできない。本人はできているつもりでも、相手は二の次で自分のことがかわいいゆえに暴走したりしてしまう。わたしにもそういうときがあったし、付き合っている男からとんでもない束縛を受けて言いなりになろうとしていたこともあった。そう、わたしはウードみたいな男と付き合っていたことがあった。今思い出すとあまりにも恥ずかしくて、幼い。
そういう痛い部分をこの映画は抉ってくる。

ウードはクソ男だったと思う。でも、時間が経って大人になって、病気がきっかけだったにせよ過去の自分を反省したのは確かだと思う。元カノに会いに行くのもやっぱり「やめておきなよ」と言いたい気がするけど、二人目に会いに行った元カノ、ヌーナーのエピソードが救いだった。

ヌーナーは駆け出しの(?)女優で、ウードが会いに行ったのはドラマの撮影現場。結婚式のシーンで大根芝居をしてしまい、監督からきついダメ出しを受けていた。
ふたりの出会いはやはりNYで、女優を目指す彼女の夢を応援しつつも嫉妬から束縛していた。
撮影現場で再会したときも、ヌーナーはウードのことをまったく許してはいなかった。別れたときヌーナーが置いていった自作の「最優秀ガールフレンド賞」のオスカー像をウードは返そうとするが、顔を殴られ受け取ってもらえない。

撮影が再開して、ヌーナーは会心の演技をした。このドラマで評価を得た彼女は、あるTVのインタビューに「辛かった経験を思い出して演技をするとうまくいく」「これまでの人生に関わったすべての人に感謝している」と答える。これを満足そうにウードは観ていた。

三人目に会いにいった元カノ、ルンは、夫と娘と三人でチェンマイのすてきな家で暮らしている。彼女にウードは会えなかったが、そのほうが当たり前だろうとも思う。人と人が出会い、別れる。そこに後悔があったとして、それを謝ったとして、いい方向に転ぶかはわからない。むしろ好転することのほうが稀だろうと思うし、ウードの後悔がどれほど解消されたかも心許ない。
それでもプリムの真実をボスに打ち明け、結果としてボスはプリムと再会できた。ウードが死ぬ前にいちばんしたかったことが叶ってよかった。

ひとつも後悔のない人生はありえない。後悔を抱えたまま、これからも生きていく。死ぬまでに背負うそれはさらに増えていくと思うけど、なるべく後悔の少ない人生を積み重ねていきたい。わたしはあと何杯のone for the roadを飲むのかな。車を運転して遠くへ行きたくなる映画だ。

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