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心と身体の影響

心と身体は影響し合っているというのは、もうおそらく誰もがわかっていることと思います。

西洋医学だけで考えると、心の状態が身体に影響を与えるなんてと思われるかもしれませんが、世の中には原因がわからない病気というものがたくさんあります。

その中でも、今日は痛みについて考えてみたいと思います。

痛みが出た時に、その痛みを抑えるような薬を飲んだりすることはあるでしょうか。

私はいつもそうしていました。

何の検査をしても、どこをどう調べても痛みの原因がわからなく、今を快適に過ごすためには、痛みの軽減、もしくはなくすことしか処置のしようがなかったからです。

また痛みが移動するように、昨日まではここが痛かったのに、今日は違う場所が痛む、という事もありました。

そのため、いつしか薬の量は多くなり、まただんだんと強いものを飲むようになりました。

さらに、痛みを起こさないようにいろんなことを我慢したり、生活に注意を払ったり、毎日いつ来るかわからない痛みに怯えて過ごす日々があったのです。

最近は、その痛みは心の痛みのサインである、という事に気が付いて、以来痛み止めを飲む必要もなくなりました。

痛みの原因は様々だと思います。

ストレスや環境などの外的要因もあれば、私のように、心の古傷が痛むときもあるでしょう。

あとは何か感情が消化できていないという、心のサインもあると思うのです。

今は痛みはほぼありませんが、それでも痛みが時々現れることがあります。
その時には、じっくり向き合ってみます。

この痛みは私に何を訴えているのだろうかと。

すると、何だか私は怒っているな、とか
とても悲しんでいる、とか

普段、周囲の人の前だけではなく、自分の中でも封印していた感情や記憶の中に、その痛みの原因があるのだろうと気が付くのです。

そうは言っても、もしかしたら私の忘れているような記憶とか、原因と思えることがわからないことがあります。

何に対し怒っているのか、悲しんでいるのかわからないのです。

後は、本当はその感情を感じているのに、傷つかないように感じないようにしているとかもあるでしょう。

例えば、とても怒る出来事があったり、悲しい出来事があっても、それを外に出すわけにはいかない時に、その気持ちを心に押し込んで、なかったことにするを繰り返すとします。

そうすると、感情自体を感じなくなるというか、これ以上私を傷付かせないために、感情を感じないように無感情になることもあると思うのです。

ただ、表面的には無感情になっているというだけで、本当は心の中に傷が残っているので、

ちゃんと怒って欲しい
悲しみを認めて

という心の声が、痛みと共に現れるのではないかと考えています。

そのため、何か痛みが出てきたときに、

痛みで教えてくれているんだね
今まで見ないようにしていてごめんね
わかった!一緒に怒ろう!

とか、

もっとちゃんと悲しもう!

と言って声をかけ、理由はわからないけれど、その感情に寄り添ったり、共感しています。

そういう声掛けをすると、途端に痛みが治まるので、心身は互いに影響し合っている、と私は思っています。

後は、その感情を持っていることを無視したり、否定しないようにもしています。

薬で痛みを止めることや、きちんと病院で見てもらうことは必要ですが、その痛みの原因がどこにあるのかも知っておくと、両方の効果が得られるのかもしれません。

ですから、薬にばかり頼りすぎたりしないことも大切かもしれません。

なぜなら、結局を痛みを抑えるだけ、特に感情が絡んでいる痛みの場合では、感情を抑えたり、無視することになるだけで、根本的な治癒には至らないこともあるかもしれないからです。

私はそういう心の傷や感情を、以前は観ないようにしていました。

なぜなら、またいろんな気持ちを感じるという事で、怒りで我を失いそうになる姿を見たくなかったし、悲しむが深くなればなるほど、自分がまた辛い思いをするからです。

感情に良いとか悪いはなかったとしても、ネガティブな感情を受け入れることが出来ないような気がしたのです。

辛い記憶があればあるほど、心の封印は強く、また自分を守るための鎧も強固になりますから、私はもう何も感じないし、ネガティブな感情などないと思いたかったのでしょうね。

しかし、それでは、心の一部を否定しながら生きていると同じことですから、結果として私自身を否定しながら生きているようなものです。

いつも周囲を警戒し、誰のことも信じることが出来ずに、重たい鎧を着て生きるのはとても大変なことです。

守りに対して根底となる感情は、強い恐怖です。

ただ、その姿も私なのだ、と少しずつ受け入れていくうちに、感情や傷、過去の思いに対して、少しづつ考えが変わってきたなと思います。

重たい鎧を脱いだ時、中には傷だらけの私がいますが、その傷があっても可哀そうなんかではない。

今までいろんなことと戦ってきた証拠で、この傷は私の勲章である、そう思えるようになったからです。

中には今すぐ手放せない思いもありますから、それをすぐに失くして、今すぐポジティブになりましょうなんて言いません。

手放したくなる時まで持っていていい。
そして、それを持っている私をすべて愛する。
それこそが私であり、私のすべてを認める。

その傷も私が背負って生きていく。

という風に思えるようになりました。

こんな風に、いつも心と身体に語り掛け、一つずつ認めていくことで、私の人生を生き、アイデンティティを取り戻すことなのだろうなと感じています。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!





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