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アイデンティティ

私自身という存在を表すとしたら、皆さんはどのような表現をしますか。

例えば、作家さんのように本を書き、言葉で表現する人もいれば、画家のように絵で描くかもしれません。

音楽や踊りなど、音や身体の動きで表現する人もいれば、料理や建物を建てたりするなど、みんな自分自身をいろんな方法で表現しています。

それはいわゆるアイデンティティであり、すべては自己表現の表れなのだと思うのです。

そう考えた時に、もう一度改めて、私という存在とは何か、という事について思い返してみると、それは自己を社会に向けて表現するという事なのだと思います。

生きるということは、ただお金を稼いで生活をするだけではないのです。

自己表現の仕方は人それぞれですが、みんな何かしらアイデンティティを持っており、その表現の仕方が違う。

ですから、そのアイデンティティを大切にすることで、

『生きるということは、私とは一体だれなのか、を探すために与えられた時間である』

という事に気が付くと思うのです。

以前も投稿に少し書きましたが、私は一度、自分のアイデンティティと思えることを手放したことがあります。

私がとても好きで、とても大切にしていたことでしたが、それを続けたところで生活は厳しく、また老後の不安や心配を考えた時に生きていけるのかという問題に突き当たりました。

そのため、一度その世界から離れ、安定してお給料がもらえるところに勤めてみました。

しかし、新たな生活は何をやっても楽しくなく、また何も長続きしませんでした。

生活の支払いのために生きているようなものだと、胸にぽっかりと穴が開いたまま、ふさがることがなかったのです。

このまま、生きる屍のようになって生きたとしても、一体何が楽しいのか。

私はこの先、何をどうしたいのかもわからなくなっていきました。

その矢先に、ふと元の世界に戻る機会がありました。

始めは、まだ不安が大きかったので、また安定した仕事を探しつつ、いつでもその世界を抜けることを考えていたのですが、段々と元の世界に戻っていくにつれて、自分の中にエネルギーが蘇ってくるのを感じました。

そうして、またその世界に戻れたことを、本当に心の底から神様に感謝した時に、この世界にいることが、私にとってのアイデンティティであったのだと気付いたのです。

私にとって宝物というか、むしろ自己同一、私自身である、という事がわかったのです。

ですから、安定を取って、自己表現の場を失った瞬間に、もう私という存在が世界中のどこにもいなくなってしまっていたのです。

確かに生きていくためには、時には希望とする仕事ではない形で生計を立てることもあります。

しかし、ほんの少しでも挑戦してみたいことがあったり、やり残しているなと思うことがあれば、何歳でも始めるのに遅いことはありません。

また、私と同じように一度その世界から離れたとしても、それを趣味とするなど、手放さないで続けることもできると思うのです。

そして、手放さなかった大切なアイデンティティは、例え普段がどんなにつらくても、生きる希望や糧となり、辛いこともそれがあれば乗り越えられるのです。

また、これは自分のためだけではありません。

世界は、あなた自身を表現してくれるのを待っているからです。

もしも私なんか、と思っていれば、それは大きな間違いです。

この世界は、あなたの表現を今か今かと待ち構えています。

私はこのような人間です。

と世界に向かって、心をすべて開いた時に、鐘の音が鳴り、世界から大きな喜びと祝福が降り注ぐのです。

アイデンティティを大切にしましょう。

あなた自身でもあるからです。

ですから、好きなことや楽しいなと思う事、追求したい、学びたいという気持ちがあることを大切にしてください。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!



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