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毎朝の目標
朝起きて、毎日目標を思い出すことにしています。
目標と言っても、何かを達成するという成果目標ではなく、今年一年の行動指針と言った方が近いでしょう。
今までは、どちらかと言うと成果目標をよく掲げていたので、期限を決めて、仕事や収入などの数値に目を向けていました。
それは多少は今もありますが、それよりも、毎日の行動目標の方を今は特に重視していて、例えば、今日一日大きな声で挨拶をするなど、今日出来ることをするという目標に変わりました。
成果目標の場合、人との関りもあったり、場合によっては、自分一人で結果が出せることばかりではないため、結果が見えなかったりします。
そのため、全力を尽くしたとしても、思い通りの評価を得られないこともあるでしょうし、結果が出るまで期間が長ければ、それだけ辛くなることもあるかもしれません。
しかし、自分の行動指針であれば、私が行えば必ずしたことになりますから、結果はわかりきっています。
要するに、することで、もしくはしないことで評価できるからです。
すると、あとで思い返した時に、今日は出来たなとか、明日はもう少し頑張ろうみたいな感じで、期間も短く、とてもわかりやすいのです。
また、一日の生活の中でその瞬間、例えば挨拶をする目標であれば、人と出会った瞬間に、その目標を思い出して意識がぐっと集中する。
ぼんやりとしていられないんですよね。
そういう意識を集中させる瞬間を持てるというのも、日々の目標の効果かなと思います。
何か目標を掲げるときに、成果に対しての目標なのか、それとも、行動指針に対して、行いを評価するものなのかでは、考え方が大きく変わっていくような気がします。
というのも、成果目標だけであれば、いつまでも数字や実績を追い求めないといけないため、どんなに頑張っても気が休まることがなく、その循環からも抜け出すことが出来ません。
しかし、行動指針であれば、今日一日、それを心がけるだけでいいという事と、出来なかったとしても、自分を責めたり、悔やんだりすることが少ないということも考えられます。
大きな声で挨拶が出来なかったからと言って絶望するとか、悔やんで責め続けることまではないでしょう。
出来なかったなと思ったとしても、明日は大きな声で挨拶しようと思うだけだと思います。
目標を掲げるときに、この二つがごちゃ混ぜになっていれば、どちらに対して、何をフォーカスすればいいのかがわからなくなり、目標自体を見失ってしまうこともあると思うのです。
目標を立てた時には、どうしても成果に対して直接的な数値を設定することが多くあります。
それは、モチベーションを保ち、さらに高い目標に数値をあげていくためです。
ただ、それはやり過ぎれば、数値に執着させるやり方になってしまったり、場合によっては、自分を疲弊させるだけで、余計に結果が伴わないこともあると思うのです。
ですから、今日一日の行動指針を掲げて、今日意識してしたこと、そしてしなかったことを、何でもいいので考えてみるといいのではないでしょうか。
いろんな目標を立ててわかったことは、目標は一つでいいということです。
一年の目標も、今日一日の行動指針も、一つに絞っておき、それが出来たかできなかったか、という事だけを見ればいいと思うようになりました。
その結果、以前目標として掲げていた事もなぜか叶っていたり、数値に一喜一憂しなくなったことで、心の平安を取り戻せるようになったのです。
目標に動かされるのではなく、私たちが目標を動かすようにすれば、自然と結果はついてくるのではないのでしょうか。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!