欲と執着
欲を考えた時に、それは人間が持つ本能的な心の表れではあると思いますが、欲が強いということに対してあまりいい印象がありません。
ものすごく欲しがることとか、貪り求める姿が、日本人の美徳とは少し離れている印象を受けるからかもしれません。
そのため、当然ながら普段から欲を強く出し、大っぴらに生きている人はあまりおらず、そのように見せないで生きているでしょう。
もちろん、理性も働きますから、動物のように本能だけで生きることは出来ないのが現実です。
欲自体は決して悪いものではありません。
欲にはいろんな種類がありますが、食欲や睡眠欲など、生きる上で欠かすことのできない欲は多くあります。
また、社会生活を行う上では、承認欲求などの心理的欲求もあれば、他者を助けたいと思う、親和性のある社会的欲求もあり、人と人が共に生きていくうえで必要な欲求もあると思うのです。
ですから、欲を捨てるとか、もう欲から離れたいと思うという事は、自身の生存も、人と関わることも一切捨てたような事になるのかもしれません。
大切なことは、欲を否定するのではなく、欲に対する正しい見方を身に付け、その欲に『執着』しないという事でしょう。
なぜ執着が生まれるのかと言うと、そこには依存する気持ちがあるからだと思います。
強い依存は執着を繋がりますが、その依存もまた、心にある欠乏感、満たされない感情が生むものです。
そのため、欲に対して強い執着を持っていたり、依存しているのであれば、欲を否定するのではなく、先に欠乏感を何とかする必要もあると思います。
それにはまずは自覚することです。
私に欲はないと思っていても、いつもそのことばかりを心配していたり、それがどこか心に暗い影を落としているのであれば、一度勇気をもって正対することも必要かもしれません。
強い欲があるというのはなかなか認めにくいかもしれませんが、それよりも執着が強く、そこにずっと依存していては、先に進むことも出来ません。
手に入らないと思い込んでいるものを、何とか手に入れようとしていることに気が付けば、根底にある不安や心配の感情、または恐怖、怯えがあることも見えてくると思うのです。
自分には手に入らないのではないかという自信のなさ、自己価値に対する考え方、また手に入っても失う恐怖、そこにあるのは、自分の存在、ありのままの姿をそのまま見ることが出来ないという、自分に対する歪んだ印象です。
私は手に入れることが出来る力がある、と思える自信や、ありのままでもいつも愛されていると思えれば、努力すれば欲しいものは必ず手に入れることが出来るし、例えすべてを失っても、私は愛されていると信じられる。
このように考えることが出来れば、人やもの、場所など、何かに依存することも、執着することもなく、欲を正しく、生きる力に変えられると思うのです。
それは自立という事だと思います。
もちろん、経済的に自立出来ていても、精神面が依存傾向にある人もいるでしょうし、その逆もあるかもしれません。
また、人はだれしも必ず何かに依存しながら生きていますから、それを考えると、100%自立が出来ている存在と言うのは、神様とか完全な存在しかありえないのかもしれません。
ですから、大事なことは、今の姿をありのまま見て、私にもその力があると信じ、そしていつも自立を目指す、という姿勢なのかもしれません。
自立を目指すという事は、何でも一人でする、という風に考えるかもしれませんがそうではありません。
本当の意味での自立とは、現在の状況を客観的に把握し、出来ないことがあればそれを認め、周囲に助けを正しく求めることでもあります。
それは自分自身との関係性においても、他者との関係性においても非常に大事な考え方かもしれません。
私たちは、欲を通じて、その奥にあるものに目を向け、今どの様に自分の姿を見ているのかを知ることが出来るのでしょう。
鏡に映った姿をありのまま見るのか、それともフィルター越しに見るのかはその人次第です。
いかがでしょうか。
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