向き合う努力
マインドフルネスや内観など、心の内側に目を向けるメソッドも、今は市民権を得ています。
一昔前までは、心と向き合うというよりかは、それはどこか置いてけぼりな印象であまり注目はされていなかったのかなと思います。
日本でも、ヨガがフィットネスの現場で当たり前になった来た頃から、少しずつスピリチュアルなことも自由に話せる時代になりました。
ヨガもはじめはインドで行われてたものが、アメリカのセレブがトレーニングとして取り入れたことにより、それが逆輸入する形でインドに戻ったとも言われています。
そこからヨガブームが始まり、ヨガ哲学とフィットネスの融合が、現代人の求めるものとマッチして、世界中でヨガ人口を増やしたのではないでしょうか。
それだけ、心に目を向ける人が増えたということでもあります。
言い換えれば、今までのやり方が通用しなくなったり、気合や根性で頑張っていても、どこか頭打ちすることが増えてきたのかもしれません。
そのうち何かがおかしいと気付いた人から、少し物事をみる視点を変えてみるうちに、心の方に目が向くようになったのだと思います。
本来はバランスというか、物理的なことも精神的なことにも偏りすぎない生き方が良いのでしょう。
しかし、今までどちらかと言うと、社会から言われた生き方は、物理的なものが多く、もちろん私も含めて、そちらに偏った生活をしている人がほとんどではないでしょうか。
また、心を重要視しすぎるあまり、逆に地に足が付かない生活になれば、それはそれで生きづらいくなると思います。
なぜなら、この世は物質社会だからです。
私達は物質社会に生きる、精神(心)だからです。
ですから、どちらかを否定しても、どちらかに偏り過ぎても苦しみは大きく、どちらも拒否することは出来ません。
例えば、物質にこだわり続けるあまり、お金に執着して拝金主義になったり、名誉や肩書に囚われて、本当の自分を見失ってしまうこともありますし、
その逆で、精神的なことを重視しすぎて、スピリチュアルに偏りが強くなると、今ある環境を受け入れられなくなることがあります。
祈りはとても大切ですが、祈っているだけではだめなのです。
大切なのは、現実と心、その二つを同時に行うことです。
何か事を起こしたい時に、祈って(心)から行動する(現実)だったり、
行動した後(現実)に祈る(心)、という形で、行いと心をセットにします。
これはどういうことかと言うと、
『行動に心を込める』
ということになります。
何か行動を起こすとき、そこには必ず動機があります。
運動をしようとしたときに、運動不足、体重を減らしたいから、スタイルを変えたいから、というように動機が存在するのです。
ですから、運動をするときには、心の中にその動機を込めて行えばいい。
そうすれば、思ったより早く結果が出るかもしれませんし、想像以上に良い結果を得られるかもしれません。
何のためにこれをしているのか。
この行動をしている時、自分はどのように思っているのか。
そこにどれだけ動機(心)を込めることが出来ているか。
心を込めるということは、それだけ真剣でなければできませんし、集中もしないといけません。
真剣に集中している時、瞑想やヨガをしなくても、現実の世界ですでにマインドフルネスや内観の境地に至っているかもしれません。
そう考えると、私たちは日常の中で、いつでもどこでも、どんな環境でも、縛られることがなく、自由になることは出来るのではないでしょうか。
もしかしたら、すでに自由なのかもしれません。
いかがでしょうか。
今日もお読みいただきありがとうございます!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?