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安・心・感
最近、いろんな出来事があってもなぜかすぐに深い安心感が得られるようになりました。
時には、どうしよう?!みたいな出来事もありますが、すぐにいつもの状態に戻り、絶対大丈夫という心持になるのです。
なぜそうなったかというと、とにかく言葉を変えて、四六時中、良い言葉を使うようになったからだと思います。
もちろん、時には弱音も愚痴も言いますが、瞬間的に元に戻るので、不機嫌な状態は長続きはしません。
それどころか、いい言葉を使い続けているうちに、何にもないときにも、まるで湯船につかっているときのように、
『幸せだなあ』
と、いつも思うようになったのです。
今までは、幸せだと思うことがあってから、幸せを感じていました。
ですので、幸せを感じたいから、幸せだと思えることに出会えるように頑張っていました。
言葉遊びみたいな文章ですみません。
好きなものが手に入ったら幸せだと思っていたときは、好きなものが買えるように頑張っていたり、
手に入れられていないときは幸せを感じていなかったので、時には不足感や満たされていない感覚を味わっていたと思います。
しかし、好きなものがあってもなくても幸せなら、あったら嬉しいけど、なくても幸せなので、あってもなくてもどっちでもいい。
何かを手に入れることとと、幸せは全く別のことだと気付いたのです。
幸福感というものは、ある程度物質的な豊かさも必要だとは思いますが、本質でいえば、外側の環境と、心の状態は別物だと考えられます。
どれだけ物質が豊かでも欠乏感しかない人もいれば、明らかに環境が整っていない状態であっても、そこに幸福感があれば、人は幸せであるということです。
人の幸福の尺度は、持ち物で決まるのではなく、その人自身が決めるものだと思うのです。
時には不安や心配を感じて、何かに頼りたくなったり、依存や執着してしまうことがあるでしょう。
ただ、その時の感覚でさえ、自分が決めるものであって、他者や周りの環境が、
『そんな状況のあなたは不安で心配だ』
と、決められるものではないと思うのです。
ですので、自分の事は自分で決める。
誰が何と言おうと、あなたが幸せなら幸せなのです。
ただ、人から言われたときに、その言葉を突っぱねるのではなく、一度考えてみるのも良いかもしれません。
相手がどのような気持ちでそれを言ってくれているか、または自分を客観的に見た時、自分ならどう思うかです。
もしかしたら、本当にあなたを思っていてくれている言葉かもしれませんし、主観的なものの見方だけでは見えない部分も多くあります。
ですので、それを踏まえて、それでも今の自分はとても幸せだと思うというのであれば、堂々と幸福でいましょう。
ほんの少し前の私は、人生に絶対などないのだから、と常に心のどこかに不安や心配があったと思います。
ただ、幸いなことに今まで何とかなってきたので、それと同じくらいいつも
『なんとかなる』という気持ちも強くありました。
しかし、今は何の確信かはわかりませんが、絶対大丈夫という気持ちになっています。
『やばい!ピーンチ!でも、絶対大丈夫』
この、言葉がセットになって心の中に浮かぶのです。
ですので、皆さんも何かあったら、最後に
『でも、絶対大丈夫』
という言葉を付け加えてみてはいかがでしょうか。
斎藤一人さんも、大丈夫やなんとかなる、という言葉を言うといいといわれていますね。
付け加える言葉はなんでも良いと思います。
大失敗!でも絶対大丈夫
間違えた!だけどなんとかなる
わーどうしよう!だけど問題ない
もうだめだ!でもすべてOK
みたいに、言いやすい言葉でいいと思います。
愚痴を言っちゃダメってなると、間違えた!とか失敗した!というのも言いにくくなるし、そこまで制限すると辛いです。
なので、言っても良いので、その言葉にプラスして、いい言葉で終わってみるのはいかがでしょう。
全部予定通り!とか、
そんな私ってかわいい!とか
とにかく肯定して言葉を締めくくり、否定した状態で言いっぱなしにしないということです。
いかがでしたか。
自分を認める言葉をいつもつぶやいていたら、何かあっても、すぐ肯定する言葉が頭に浮かぶようになります。
ぜひ試してみてください。
今日もお読みいただきありがとうございます!