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身体の状態

先日ふと、身体の状態につてい考えてみたことがありました。

デスクワークや、スマホの使用で、猫背になっているのでは、と考える人は多いかもしれませんが、私も同じように少し気になり始めたのです。

その時にはトレーニングでもしようかな、ぐらいの軽い気持ちでしたが、その何気ない考えから、過去の経験が一瞬でグワーっと蘇ってきました。

私は小学生の間、同級生と比べてとても成長が早く、一人だけ頭一人分突き抜けた状態でした。

もちろん、当時は身長の順で整列することばかりだったので、いつも一番後ろにいた記憶しかありません。

とはいえ、中学生ぐらいになるとみんなも成長期を迎えたので、同じくらいにはなったのですが、それまでは、一人だけ悪目立ちするようでとても嫌だった記憶がありましった。

そのため、よく身体をかがめて、少し小さくなるようにして過ごしていたのです。

その記憶を全く覚えていなかったので、思い出した時にはびっくりしましたが、影響が今もあるのではないかとも感じました。

また、言葉が上手く出なかったこともあって、当時はあまり話せないし、気持ちも内気な性格だったので、特に目立ちたくない気持ちが強く、

ハート、心を、背中や肩で覆うようにして生きていたというのもあったかもしれません。

それに気が付いた時、猫背が嫌だなあとか、治すためにトレーニングしようという気持ちは一切なくなりました。

それどころか、筋肉や骨格からしたら、とても不自然で、本来の動きは出来ていなかったのに、私のためにずっと無理して頑張ってくれていたのかもしれないと、感謝したくなりました。

私も身体と直接言葉のやりとりをしたことはないので、果たしてそれが合っているかはわかりません。

ただ、それ以来私は背中や肩に
『今までありがとう』とか声をかけるようになって、

すると、ずっと緊張していた背中も肩も、特に何もしていないのに、自然と緩んできたような気がするのです。

今までは、ダメだと思うことを何とか修正しようとばかり考えて、今の状態を否定していたんだと思います。

ですが、もともとは私が望んでそうしたことで、身体の方には何の原因もなかったのです。

人生も同じで、私が選んで、私が望んで生きている人生を否定していたり、そもそも選んだのは誰なのかを忘れて、何かのせいにしても、それを選んだ根本的な要因にたどり着けないのではないかと思います。

私のように、遠い記憶によるものもあるかもしれませんし、それを思い出すためには難しい場合もあるでしょう。

ですが、どんな状態にも必ずそうなる理由があって、その理由は私にあるという事です。

私は今まで、この背中や肩が嫌いでしたが、私を守るようにしてくれていたことに気が付いてからは、この肩や背中が愛おしく、無理はさせたくないけれど、もう何とか修正しようとか、トレーニングして治そうと思うことはやめました。

むしろ、これが私の生きてきた記憶であり、歴史であるならば、もしも誰かにあなたは猫背だとか言われても、もう全く気にならないです。

それどころか、そういう身体をとても愛おしく、また大事にしたい気持ちになったのです。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!

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