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書いては観る②

書いては観る、の続きです。

そのようにして、
・インプットからアウトプット中心の生活に変え、
・アウトプットした時に出てきた感情を否定せず、受け入れる、認める。

あとは、
・思ったことと行動を一致させる

ということも繰り返しています。

例えば、
『私はジュースを飲みます』と言ってジュースを飲みに行く、
みたいな形で、

行動の起因は私が決める、ということを身体に覚えさせました。

今までは脊髄反射的にスマホに触れていたので、
私が決めたことではなく、癖や習慣のように、身体の方が勝手に動いていたこともあったと思います。

ですから、指示を出すのは私で、行動を決めるのは、私にしか出来ないのだと言い聞かせました(笑)脊髄に。

そうは言っても、完全に離れるまでに半年ほどかかりました。
個人差があると思いますので、もっと早く出来る人もおられるでしょう。

そもそも私がスマホから手を離すことが出来なかったのは、とても退屈だったからです。

退屈と言うのは時間があったり、何もすることがないとかではなく、何となく人生に退屈さを感じ始めたからです。

今は生活に何も不便がなくなって、旅行に行かなくても現地の情報や、現地でしか買えないものも自宅で手に入るし、興味のある分野も、家に居ながら、まるで専門家にでもなったかのような知識も持てて、

だから、もっと楽しいことないかなーって探していたんだと思います。

あとは、以前も投稿に書いたと思いますが、スマホを触る理由を考えた時、

スマホを触っているから気持ちがざわざわしていると思っていたけれど、本当は気持ちがざわざわしているから、スマホを触らずにはいられなかった、ということにも気が付きました。

ですから、
そのざわざわは何だろうとか、
どうしてそんなに落ち着かないの?
何を感じている?

みたいな感じで、何度も自問自答を繰り返していたということもあります。

ただ、アウトプットの内容によってはいきなり奥深いところを探るというよりかは、表面的に出てきた思いや気持ちから、一つ一つ聞いていくということが多かったです。

誰でも言いたくないことがあるように、気持ちの方もすぐには出せないものもあると思いますし、それを無理矢理聞こうとするのではなく、話してくれるまで黙って待つ、みたいな感じにしています。

こうしてとにかく自己対話を繰り返すうちに、私はスマホを触ることがなくなって、それどころかこれは不思議ですが、今まで甘いものとか、見かけたら脊髄反射的に買っていたお菓子も、別に欲しくなくなって、どうでもよく感じられるようになりました。

現代は、依存状態になりやすい環境が整っているのだと思います。

そのような傾向に陥りやすい食べ物や飲み物、環境やツール。

そして、ついそうしたいと思わせてしまうほどの、ストレス過多や過酷な状況、

一瞬でもいいから辛さを紛らわしたい、この時間だけは苦しいことを考えなくて済む、

だから手放せないんだ。

なぜならそれぐらい、

『今つらくて苦しいから。』

その気持ちを一旦吐き出させてあげないと、どんな依存症でも抜け出すことは難しいのかもしれません。

今の私の目標は、毎瞬出てくる心の声や感情を無視しないことです。

いかがでしょうか

とても長くなりましたが、今日もお読みいただきありがとうございます!






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