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思いを言葉に

日常の生活の中で、思いを言葉にできていますか。

当然できている。

私はずっとそう思っていました。
しかし本当は、出来ていると思い込んでいただけで、出来ていなかったのかもしれないと最近思うようになりました。

それは、人から何かを質問された時に、答えの着地点がいつも定まっていないことに気付いたからです。

毎回答え終わってすぐ、なんだかおかしな返事をしてしまったなと思うことがよくありました。

例えば、
Q『あなたの好きな果物は何ですか。そして好きな理由を答えなさい』
という質問があったとします。

A『好きな果物はバナナです。なぜなら甘くておいしいからです』

みたいな感じで、質問に対して答えの着地点が定まっていた方が、相手には伝わりやすいです。

それが私の場合、
A『好きな食べ物はバナナですが、私はおやつによく食べており、その理由は甘くておいしいからです』

みたいな感じになっていて、返事を聞く方からしたら、もらった答えは、決して間違いではなさそうに聞こえるけれど、

なんとなく迷路に一旦連れていかれて、戻ってきたら、そもそも質問の内容が何だったかわからなくなった、みたいな感じになっているのです。

まるで煙に巻く返事をしている私は、思ったことを言語化できていないのではないかという不安がよぎりました。

それは結局のところ、相手が質問した内容の本質も捉えることが出来ていないことにもなります。

私は幼少期、一時期言葉が出ないような時期があった記憶もあり、場面緘黙のような状態だったのかなと思います。

それ以降は、人と話すより話を聞くことの方が多く、いまだに言葉が詰まったり、黙ってしまってうまく話せないことがあります。

そのような経験があったこともあって、それも少しは関係するのかなと考えていました。

あとは、今まで、人から何かを質問されることが苦手だったのですが、おそらく、うまく答えることが出来ないからだったのではないかと思います。

ヘレン・ケラーの伝記を読んだことがある人は多いでしょう。

生後19か月で病気により、聴力と視力を失います。
私も子供の頃に、ヘレン・ケラーの映画を観たことがありますが、サリバン先生との格闘はとても印象的でした。

聴力も視力も失い、暴れるヘレン・ケラーの手に水を当て
『water』
と手のひらに文字を書くシーンが、確かあったようななかったような。

そこからのヘレン・ケラーの活躍は誰もがご存じだと思いますが、ここに大きなカギがあるかもしれません。

思いを言葉に出来ないということが、実はとても苦しいということです。

気持ちがもやもやした時に、
『もやもやする』という言葉を知らなかったり、知っていてもそれを言語化できないとか、またはそのもやもやの理由を説明できない時、
そのもやもやはどのように表現したらいいのでしょう。

『もやもやする』
という言葉があるから、その状況を表現できますし、伝えることも、今の気持ちを自己認識することも出来るのですが、それらが全くできなければいかがでしょうか。

その状況を想像しただけで、なんだか胸がもやもやしてきますね(笑)

このように、思いを言葉にするということはとても大切です。

それは他者とのコミュニケーションのためだけではなく、自己認識、今私は何を思っているかを知るためにも必要なことであるということです。

思っていることを言葉にしているはずなのに、思ってもいないことを言ってしまうことはありませんか。

例えば、感情的になったり、言うつもりはなかったけど、などです。

思ったことと言っていることが、必ずしも同じとは限らないのです。

ですから、これを出来るだけ同じにしていくようにすれば、心と思考が分離せず、今の状態を人に説明出来たり、自己認識できるようになるのでしょう。

それはストレスの軽減にもつながるでしょうし、気持ちへの理解も深まるかもしれません。

思いを言葉にしていきましょう。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!

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