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目標への道筋

私はこうなりたい、このような目標がある、という風に、明確とまではいかないものの、こうなったらいいなと言う思いは誰にもあるかもしれません。

それは生活の中で、今現在手に入れられていなかったり、これから手に入れたいと考えている願いや望みでしょう。

多くの人がそのように考えているにもかかわらず、手にできている人と、出来ていない人には実は明確な違いがあります。

その違いとは、その思いに向けて行動しているか、していないかだけです。

ではなぜ、行動している人としていない人がいるのでしょう。

例えば、山頂にゴールがあってそこに向けて歩き出そうとしているとします。

ある人は手に地図を持ち、道がしっかりとあるところを歩いています。
そのため、地図を手に、整った道を歩いて順調に進んでいます。

一方、もう一人は、地図もなく、道は獣道で、どこを歩いたらいいか見当が付きません。
何度か歩けない場所まで行ってみましたが、結局諦めて元の位置で座り込んで動かなくなってしまいました。

このように、目標や願望に対して、歩く道筋がわかっていたり、ゴールまでの道のりが見えていれば、誰でも目標にたどり着くのです。

ですから、目標に届かないことが、環境のせいでも、人のせいでもなく、その道筋を立てられるか、そうではないかの違いであるという事です。

目標や願いを考えた時、その目標と願いに意識は向けますが、そのための道筋を考えることが出来ていないことがあります。

目標や願いと言うのは、あくまで指標に過ぎず、そこに意識を向けてばかりいても、進む道を考えない限り、辿り着くことが出来ないからです。

ですから、願望や目標を叶えたかったら、着くまでの道の方に意識を集中させ、道が定まったら、とにかくゴールに向かって歩く(行動)することが大切です。

ここで重要なのが、それがわかっていても道筋を見つけられないという事でしょう。

人生において、道筋を見つけてくれる人は自分以外には存在しません。

参考程度にアドバイスがあったり、きっかけとなる出来事はあるかもしれませんが、そこに至るまでの地図も、また道を作ることも出来るのも、その本人しかいないのです。

夢や願望を叶えてきている人は、その労力を惜しまず、また誰かにしてもらおうとか、いつかそうなると先延ばしにせずに、コツコツと地図を書き、道を作ってきた人なのでしょう。

ゴールに到達することよりも、むしろ地図や道を作って、歩き出す方が大切なのかもしれません。

そうやって、その道中を楽しんでいる間に、気が付いたらゴールに到着していた。

それが目標や願望の叶え方なのではないでしょうか。

そうは言っても、私には地図も書けないし、道も作れない、一体どうしたらいいのでしょう。

そういう時、その目標や願望に対して、真剣に向き合ったかどうか心に聴いてみるのもいいかもしれません。

私はその目標や願いを本当に叶えたいと思っているのだろうか。
その願望に対して、真剣に向き合っていただろうか。
必ず、私が叶えると強く思えただろうか。

もしかしたら、どこか人任せに、また、いつかそうなるだろうとぐらいしか考えていなくて、地図や道を作る労力を出していないのかもしれません。

また、この山は険しいからとか、私にはできないからと、何かのせいにしたり、誰かにしてもらえばいいと思って座って待っていても、誰も来ません。

なぜならその山は自分だけのものだからです。

みんな自分の山に登るために必死なのに、わざわざ人の山に登って手を貸してくれる人はいないのです。

もしそのような人が来たとしても、間違った道を教えられたらこう思いませんか。

『あの人のせいで道を誤った』と。

ですから、山のゴールには私が道を作って登るのだ、という気持ちを持って、後は地図と道づくり楽しくむこと。

これが本当の意味での願いの叶え方なのかもしれませんね。

いかがでしょうか。

今日もお読みいただきありがとうございます!


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