えりちゃん日記(雑記)
教員をやっていると「どうして先生になったんですか?」という質問をしばしば受ける。
私は元々教員になりたくてなったというよりは、大学院まで進学したものの研究職に就くことを(半ば)諦め、そこから自分のスキルを活かせる職と考えたときに、ほぼ教員しか道がなかったという感じである。
しかし家族(主に父親)から受けてきた諸々のプレッシャーや、幼少期から抱えてきたコンプレックス(勉強しかできないという自身に対する否定的な感情)等から、「教員以外になりたい」「教員以外の職に就きたい」という気持ちがあり、院1年生の冬頃から民間での就活を始め、夏ごろまでは就活を頑張っていた。けれども就活をすればするほど自分が民間企業に向いていないことを痛感し、何のためにこんなことをやっているのか……自分の納得できる勤め先はあるのか……と本当につらかった。
そしてついに、もう就活に疲れた。早く決めたいという気持ちで、私立高校の教員採用試験を受けたところ、すぐに専任教員採用が決まった(普通私立高校は常勤講師といって、期限付きの雇用を経てから専任登用試験を受け、それに合格すると専任教員として定年までの雇用が保証されるようになる)。
空回りして就活をしていたものの、結局私の適性は教員だったのだ。というか就活をしていて気づいたのは、私は利益を生み出すことにほとんど興味がないということ。利益を生み出さない人、モノ、コトがことごとく排除される社会で、教員という仕事は「利益」とは別の価値観に基づいて仕事ができる数少ない仕事だと思う(もちろん今の学校はもはや「利益を生み出す人」を育てるための場所になりつつあるし、そういう「社会に有益な人材を育てたい!」的な先生も多いけど、少なくとも自分の授業やHRの時間は、ある程度自分の価値観に基づいて行える)。おそらく私は自分が本当に良いと思えない商品やサービスは売れない。そう思うと、役に立たなくても、何の意味もなくても、ただ一緒に教室にいて、ただ笑ったり怒ったりして、毎日を共に過ごすこの仕事は自分に合っていたんだと思う。