「信頼」と「信用」似ていてだいぶ違う
「信頼」と「信用」は似ていてだいぶ違いがあるようです
今回は、私たちTHdesignのミッションでもある「信頼(Trust)」について考察してみました。
信用とは
例えば、ビジネスの取引においてB to Bの場合、「信用取引」というのがあります。これは、先に契約を交わし商品やサービスなどを提供し、後からその対価として現金を受け取るものです(通常お店で買い物をするときは、商品と現金の受け渡しが同時に発生する)。
この「信用取引」では、信じているがどこか用心しているから取引先が
・倒産しないか
・支払い能力はあるか
など、常に信用調査が行われます。
全幅の信頼とは言うけれど、全幅の信用とは言わないですね。
信頼していれば相手を調査などしません。
繰り返しになりますが「信じているがどこか用心している」それが信用だと思います。
信頼とは
では「信頼」とは、どのような状態なのでしょうか。
前述の通り「全幅の信頼」と言うように、相手を信じて用心することなく
疑うこともなく、信じて頼りにしたり、信じて頼むことではないかと思います。
一度、頼んだら相手の主体性に任せたり、やり遂げる力があると信じて結果を待つ。
「信じて頼りにする」「信じて頼む」それが信頼だと思います。
うっかりしていると疑ってしまう
ところが、うっかりしていると私たちは、人を疑うことから用心することからはじめてしまう・・・
「これは、あなたがやったの?」
「電気灯けっぱなし」「電気消すの忘れてる」
「ちゃんと洗えてない」
「宿題終わらせたの」・・・
「○○ができてない」
「○○が終わってない」
「○○やった?」
「○○終わらせた?」
「○○はどうなっている?順調か?」
「あなたの言葉を信じていいの?」
と家庭でも職場でも疑う言葉ばかりが飛び交う。
その言葉は、
親から子へ
妻から夫へ、夫から妻へ
姑から嫁へ
上司から部下へ
経営者から従業員へ
子どもは親を一番信じているし親に一番信じて欲しいと願っている。
妻は夫に、夫は妻に、嫁は姑に同じように信じて欲しいと願っている。
部下は上司に、従業員は経営者に同じように信じてほしいと願っている。
それなのに毎日のように浴びせられる言葉は疑いの言葉だ!
「あなたを信じている」という言葉とともに疑いの言葉を浴びせられる。
信じるとは疑うことだと学んでしまうほどに…
家庭でも社会でもどこか疑っていて信用はあっても信頼がない
まとめと願い
夫婦も、親子も、兄弟も、上司部下も経営者と従業員も信頼し合えたら
「疑うのは簡単、信じるのは難しい」を「疑うのは難しい、信じるのは簡単」に変えられるのに・・・
信用 : 信じているけど、どこか用心している
信頼 : 信じて頼りにする、信じて頼む
全ての人と人が信頼関係を築き、信頼によって繋がる世界にしたい
私たち 株式会社 THdesign の願いです。