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【映画】ピアソラ 永遠のリベルタンゴ

12月1日に公開されたダニエル・ローゼンフェルド監督『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』(英題"Piazzolla, The Years of the Shark")を、渋谷Bunkamuraル・シネマで初日に観てきました。元々この映画のことは知らなくて、つい先週くらいにTumblrに流れてきたトレイラーのキャプチャ画像で、公開間近なことを知った。…というくらい、最近はピアソラアンテナが鈍っていた。

ところで、先だって公開された『ボヘミアン・ラプソディ』を立川の極上音響上映で観まして、すっごく感激したんですね。再現ドラマならではの演出や誇張があったとしても、好きなアーティストや演奏家がいるという人なら、誰だってあんなふうに自分の「推し」が人生で最も輝いていた瞬間をスクリーンで観たいよ。その映像に、本物の音源がついているなら尚のこと!

わたしだったら誰の映画をそんなふうに観たいかなと考えたときに、真っ先に連想したのがアストル・ピアソラさんのことなのでした。音楽のジャンルも、生まれた世代も違うものの、無知や偏見と闘い続けて遂には自分だけの表現を成し得た真のパフォーマー。奇しくも同じ80年代に音楽的成熟期を迎え、没年も1992年とフレディ・マーキュリーの1991年と近い。

そこへ飛び込んできたのが、ピアソラの生前の映像を捉えたこのドキュメンタリー映画の日本公開のニュースですよ。観たい! 絶対観たい! クイーンの映画のように、日本中の大手シネコンでガンガン上映するみたいなのは望むべくもないけれど、都内で上映してくれるなら絶対に観に行きたい。

というわけで、東京初日の初回、しかも来日中の監督の舞台挨拶のある回を予約して観てきました。

タンゴの革命家、ピアソラ

でね、その前にこの映画、説明が全然ないんです。ナレーションもないし、字幕による補助的な説明もない。タンゴとはどういう音楽で、ピアソラはそのなかでどういう人物で、どういう曲を書いて、どういう人生を歩んだか…そういうことはみんな当然もう知ってるよね? みたいなテンションですべてが進んでいく。何も予備知識がない人が観たら正直よく分からないかもしれない。

なのでまず、この映画を観るにあたって、最低限これだけ知っていればたぶん大丈夫…という要素をできるだけ簡潔に書き出しておきますね。詳しい方は適当に読み飛ばしてください。

◆ ◆ ◆

タンゴは、狭義にはアルゼンチンのブエノスアイレスの音楽。起源は諸説あるようだけども、移民が持ち込んだ様々な文化に基づくミクスチャー音楽で、20世紀初頭には港町のローカルなダンス音楽として定着しました。普及の過程でさまざまに形を変え、ヨーロッパを経由したコンチネンタル・タンゴとして、また日本では『黒猫のタンゴ』や『だんご三兄弟』などとしてポピュラー音楽の一要素にもなっていますが、あくまでも基本はブエノスアイレスの音楽です。

タンゴ演奏においてメインで使用される楽器がバンドネオン(Bandoneon)。アコーディオンによく似ているけれど、形はもっと小さく正方形に近くて、両手のボタンの配列も、もっと言うと音も全然違う。希少な楽器であるうえに習得が困難でもあることから、知る人ぞ知るみたいな楽器ではありますが、日本でも小松亮太さんなどの活動のおかげで、知名度が上がってきています。

そしてアストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)こそは、20世紀のタンゴを代表する作曲家・バンドネオン奏者。1921年にアルゼンチンで生まれ、少年期をNYで過ごし、故郷に戻ってからタンゴ奏者として活動を始める。ヨーロッパでクラシックを学び、エレキギターなどを取り入れた従来のタンゴのフォーマットにとらわれない曲を続々と発表したことで、アルゼンチン国内の業界やファンからは、"タンゴの破壊者"などとして激しく非難されました。

バンドネオンを弾くピアソラ
公式サイトpiazzolla.orgより

長く不遇の時代が続いたものの、80年代にはバンドネオン、ヴァイオリン、エレキギター、ピアノ、コントラバスからなる五重奏団を率いて日本を含む世界各地でツアーを行い、遂にはブエノスアイレスの由緒ある「コロン劇場」でのコンサートの成功に裏付けられるように、母国でも広く認められるに至る。1990年にパリで脳梗塞に倒れ、92年に71歳没。その後、クラシック界からのカバー作品が端緒となり、ピアソラ・ブームとも言うべき再評価の波が起こったことで、世界中にその名が知れ渡るようになりました。

主な曲に、今やタンゴの代表曲のようにしてこぞって演奏されるようになった『リベルタンゴ』、父の死をきっかけにして生まれた『アディオス・ノニーノ』、狂気ギリギリの美しさをドラマチックに歌う『ロコへのバラード』など。

そしてまた、プライベートでは最初の妻デデとの間に娘ディアナと息子ダニエルがおり、ディアナさん(2009年没)は詩人・作家として父の伝記を残し、ダニエルさんは音楽家として短期間父のバンドでツアーを行っていたこともある。ただ、1960年代に父アストルが彼らを「捨てた」ことで、家族は永遠に複雑な関係になってしまった。

◆ ◆ ◆

…以上が、おおまかに前提知識となるようなことがらです。ざっくり言うと、アストル・ピアソラは旧態依然としたタンゴをぶち壊したバンドネオンの革命家であり、モダンな音楽として現代にタンゴを蘇らせた立役者であり、と同時に、決して良き父ではなかった、というようなところが肝になります。やっぱり前置きが長くなってしまった。

三代にわたる父と子の物語

ここからようやく映画の話です。

率直に言ってすごく良かった。ピアソラ・ファンは絶対に観るべきです。その功績に比して、ただでさえ多いとは言えない生前の「動いているピアソラ」の映像、それもオフステージのリラックスした表情がたくさん詰まっている…というかむしろ、そういうプライベートな映像を軸に構成されているのです。いったいどこにこんなに素材が…みたいな感じ。

それもそのはず、この作品を形作っているのは2つの要素、アストル・ピアソラの息子ダニエルさんへのインタビュー、そして生前の娘ディアナさんが父の伝記を著すにあたって記録された音声テープ。逆に言うとほぼそれだけなんですね。仕事仲間である存命の楽団員へのインタビューもなければ、他の関係者の証言も、さらにはピアソラの後の2人の妻についてもほとんど触れられない。あくまでも血のつながった息子と娘の視点から、「プライベートなアストル・ピアソラ像」を描き出している点がこの映画の特長です。同じアルゼンチン出身のピアニスト、マルタ・アルゲリッチの娘さんが母を撮った映画"Bloody Daughter"(2012)にも少し似ています。

なかでもフォーカスを絞っているのが、「父と息子」の関係性。アストルにバンドネオンを買い与えた父と、その父に別れの曲『アディオス・ノニーノ』を捧げたアストル。そして音楽にすべての情熱を傾けたアストルと、その父に捨てられた息子ダニエル。三代にわたる父と子の物語…なんていうと『バーフバリ』みたいですが、実際それほど因縁深いものがあります。アストルの父が息子を通じてカルロス・ガルデルに送った木彫り像が辿る数奇な運命なんかは、殊更にこの物語に神話的性格を与えていると感じる。

とはいえ、映画全体の構成はシンプル。幼少期から編年体的にピアソラの音楽活動を追った、伝記ドキュメンタリーとしては基本に忠実な構成と言えると思います。ただ、これを観ればひと通りピアソラが分かる、というような「概説」ではない。後述するとおり、そういったドキュメンタリー作品は実はDVD媒体では既にあるので、それに比べれば非常にいびつな形の作品であるのは事実です。なんというか…ピアソラを愛する人向けなのだ。

「鮫の時代」

邦題サブタイトルとして「永遠のリベルタンゴ」とついていますが、原語スペイン語の副題は、"Los años del tiburón"=「鮫(サメ)の時代」。どういう意味かというと、生前ピアソラは趣味の鮫釣りにめちゃくちゃハマっており、ある休暇には釣りと作曲を連日交互に行うほどでした。鮫ってあのサメ?って思うんだけど、マジであのサメです。インタビューのなかで、体力と精神力を懸けたステージでのバンドネオン演奏と鮫釣りに例え、またパブロ・ピカソの「青の時代」になぞらえて、自ら冗談めかして「鮫の時代」なって言っていたのが、タイトルに採用されているのです。

実際、本作では海のモチーフが印象的に使用されます。英語版トレイラーの冒頭の海の映像がそのまま最初のカット。具体的にどんなカットかはネタバレなので伏せますが、ラストカットも海です。

(例のごとく)日本語版とはだいぶ印象の異なる英語版トレイラー

挑戦のために何度も海を渡り、世界を股にかけた音楽活動を行ったピアソラ。その若き日々は失敗と苦難の連続で、家族を経済的に追い込むこともしばしばであったことが赤裸々に語られる。右足を前に突き出し、片足立ちのような恰好でバンドネオンを弾くピアソラの姿は、まるで荒々しい洋上で鮫と戦う漁師の姿のようでもある。

同時に、同じ音楽家である息子ダニエルにとっての父のイメージは、海のように広大無辺で、また理解を超越した存在でもあった。パーカッショニストとしてバンド仲間に迎えられながらも、後期五重奏団の立ち上げに伴う解散によって突き放されたと感じた彼は、父にひどい言葉を投げかけてしまう。

「あなたは後退しようとしている!」

それは、常に前進を是としてきたアストル・ピアソラが最も嫌う言葉。かつて母や自分たちを捨てた父…一度ならず二度までも捨てられたダニエルの、複雑な感情が滲むシーンです。本作では全編を通して、このダニエルさんのうれしいとも悲しいとも、なんともつかない表情を捉えた様々な「リアル」な場面が印象に残りました。つまりはこれ、どこまで行っても父と子の話。

ピアソラを語るうえで絶対に必要な1ピース

実のところ、『ボヘミアン・ラプソディ』のような映画では全然ないです。ピアソラの音楽的な功績を映像で追うなら、2005年BBC制作の"Piazzolla: The Man and His Music"(マイク・ディブ監督)が素晴らしく充実しているのでおすすめ。輸入盤DVDですが、"Astor Piazzolla In Portrait"という作品に収録されている54分のドキュメンタリー作品です。

上記の作品にはやはりダニエルさん、そして生前のディアナさんが登場するほか、数多くの音楽仲間や関係者へのインタビューも含まれており、こちらのほうがピアソラの音楽人生を俯瞰で眺めることができると思います。たぶん探せば今でも中古とかで見つかるはず…。

ただし、今回の映画にはここに入っていない要素がかなり多く含まれています。それは家族の物語であり、家族の目線から見た戦う音楽家の肖像であり、他の誰にも見せなかったはずの姿。今後、それこそクイーンの映画のような、別の形でピアソラをとりあげた伝記映画が生まれるとしても、きっとそこでは描き得ないパズルの1ピースがここにあると思うのです。

そしてまたこの映画、ピアソラの音楽がこれでもかという密度でふんだんに使われているんですね。どこで何の曲が、みたいなのはいちいち説明されないけれども、アニバル・トロイロのくだりでトロイロ組曲の『シータ』(大好きな曲だ!)がかかったりとか、完全にわかってる選曲。変なとこで切れたりとか繋ぎがおかしいみたいなことも一切なく、めちゃくちゃ上手いDJがほぼ全曲ピアソラの曲だけでDJミックスを披露しているような感じ。

あと、バッハファンとして嬉しかったのが、J.S.バッハにまつわるエピソードにも触れられていたことです。ピアソラがある尊敬する詩人に会いに行ったところバッハは好きかと聞かれ、もちろんですと答えると、その詩人は「バッハを好む者は死を好む者だ」と言ったんだって。ウワーッわかる。

代官山蔦屋書店での公開記念トークショー

最後にもうちょっとだけ…。

時系列が前後しますが、11月30日に代官山の蔦屋書店で映画の公開を記念したイベントが開催され、わたしは実はそちらへも足を運んでいました。トークゲストにピアソラ研究の第一人者である斎藤充正さん。直接お話を聞ける機会は初めてなので、楽しみにしていました。

イベントの内容はご本人のブログ記事にもまとめられています。ピアソラの初期の代表作"Triunfal"の5曲聴き比べ(!)が個人的には熱くて、ほかにも貴重な音源を聴かせていただくことができました。

会場にはピアソラのレコードのほか、写真や私物を展示するコーナーも。映画公開記念展示として、12月12日まで設置されているとのこと。詳しくは蔦屋書店の告知ページで。

なんと『アディオス・ノニーノ』の自筆譜…!

映画の公式サイトはこちら。おそらくはミニシアター系の劇場に限られると思いますが、来年にかけて順次、全国で公開が始まるようです。

わたしは20代のある時期、確実にピアソラの音楽に支えられており、それはいまも自分の一部になっていると感じます。いずれおすすめのCDなんかについても書いていきたい。

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