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アメリカの黒人問題と日本のガイジン問題(2/2)

(注:「ガイジン」は差別用語。前回の記事参照。)

前回の記事の要点を以下にまとめたが、できれば全文を読んでいただきたい。

日本のガイジン問題とは、我々日本人の心の中にある、普段気づかない差別意識のことだ。アメリカの黒人問題のように、大きな運動にならないから、根本的な議論が広く沸き起こらないが、問題の根の深さは同じだと思う。

「ガイジン」とは外国籍の人だけでない。日本国籍であっても容姿が典型的日本人とは明らかに異なる人や、海外育ちで日本語がネイティブでない日本人も差別の対象として含まれる。

この問題の根本は、個人の心の問題。解決策は、肌の色や宗教・国籍・出身国が違う真の友人を持っている人がマジョリティーになることだ。これ以外に解決策はないと思う。

私は前回、社会構造の改革を問題解決の一つの要素としてあげた。しかし一晩考えてみたら、それは基本要素ではないと気づいた。社会構造は二次的なものだ。社会構造を作るのは人間だからだ。やはり根本は一人一人の心の問題だということ。大人は自分の心の中に眠る差別意識に気づき、コントロールできるようになること(前回記事参照)。そして何よりも教育の役割は大きい。

教育現場の問題点

日本生まれ日本国籍の白人の子どもに、教師が「日本人みたいね」と褒める。少し漢字が間違っていても「ガイジンだから」という理由で点数をおまけする。それが差別であることに教師も気づかない。教師が生徒の素性(例えば日本国籍であること)を知らないはずは無いのだが。言われた本人は「自分は違うんだ」「自分はなに人?」と混乱する。アイデンティティ・クライシスだ。統計こそ見当たらないが、人種の異なる日本人や、日本で育った外国人たちの証言は沢山ある。

そういうクラスで育った子どもたちは教師に見習い、そういった言動を差別とは意識せずに育つ。「白人」や「黒人」は「日本人ではない」という意識が植え付けられる。だから「私もあなたのような青い目と金髪になりたい」などと平気で言う。本人は羨ましく思って言っていて、それが差別発言だと気づかない。あるいは「ガイジン」と仲間外れにする。

教育現場は子どもの世界観を形成する場だ。人種の違う子どものいるクラスは、日本人に必要な多様性の第一歩を、子どもの価値観に植え付けることのできる貴重な環境のはずだ。多様性を身につけるとは、「肌の色や宗教・国籍・出身国が違う真の友人を持っている」個人の心の問題だ。見かけや宗教が違っても、皆同じ人間であることを教えるのが教育ではないだろうか。

本来あるべきこうしたクラスの姿は、40人のクラス全員が多様性を身につけて大人になること。その人たちが周りに影響力を及ぼす。こういうことが全国の教育現場で徹底されれば、20〜30年後には日本社会は大きく変わるはずだ。人格形成期の青少年にとってのその経験は、将来グローバル社会で活躍するための人格形成の土台になるはずなのだ。しかし残念ながら、ネットで見つかる証言からは、教師がそのチャンスをみすみす無駄にしているだけでなく、人種差別の温床を作ってしまっていることが伺える。現在の教育現場はどうなのだろうか?

実際の証言のいくつかを下記にリンクしておいた。
‘You’re so Japanese’: The compliment that triggered my identity crisis | The Japan Times

最後に私の知人や、ネットで発せられている実際のケースをいくつか紹介し、ここまで読んでいただいた方々に考えていただきたいと思う。

ケース・スタディー

1. いくら流暢な日本語で話しかけても「No English」「英語わかりません」などと対応される。日本に長らく住んでいる日本国籍を取得した外国(インド、フランス)出身の私の友人たちが口を揃えてこれを言う。外見が日本人ではないから、日本語が通じないと思い込んでいるケースだ。「日本人として認めてもらっていない」と思うだろう。だから差別なのだ。見かけによる先入観に自ら気づく必要がある

これを極端に表現したビデオがある。

2. 異人種に対する知識不足のひどいケース
次はアフリカ西部の国出身の私の友人の話。彼はアフリカの様々な種族の中でも肌がほぼ真っ黒なほうで、身長も2mほどある大男だ。母国の郷土料理の魚の頭の煮込みをしようと、スーパーで魚の頭ばかりを買っていたら、地元のおばあさんに「どこから来たの」と日本語で聞かれ、「宇宙から来ました」と日本語で冗談を言ったところ、そのお婆さんは腰を抜かして逃げていったとのこと。彼はこのお婆さんの反応を単なる知識不足と笑い話にするが、人によってはこの国に馴染めないと悩むかもしれない。

3. 有色人種に対する差別
完全な日本語で話すパキスタン系日本人の星恵土(セイエド) ゼインさん(パキスタン名 Zain Ul Aladdinさん)は以下のように話す。このケースは2019年の9月だ。

最近クルド人の身に起きた同様のケースは皆の記憶にも新しいだろう。

6/15 このクルド人の件について訂正:一般財団法人 日本クルド友好協会の声明によると、どうやら実際に交通違反があったということで、このクルド人男性を「擁護する余地」はないとのこと。しかしそれと、警察官のガイジン差別意識による過剰な行為がなかったどうかとは別問題であるとも言える。

これは警察官が中東系の顔をした人を、先入観で犯罪者や違法滞在、あるいはテロリストと疑っていることを示唆する。こういうことが後を絶たない。これはアメリカでの黒人差別と同程度か、それよりもひどい人種差別だ。繰り返すが、問題は警察官の差別的言動というよりは、その根底にある価値観・心の中なのだ。

4. 白人に対する不当な優遇
日本人は白人に対しては親切・フレンドリーに対応するというのがもっぱらの傾向。しかしその裏返しは、日本人とは区別するお客様扱い。旅行や出張で日本に来る人には喜ばれるが、日本に長く住み、日本社会に溶け込もうとしている人には、人種差別として受け取られる。

深夜の個人営業飲み屋に入ろうとした時、ちょうど閉店の時刻だった。他の客たちは追い立てられるように店から出てくるが、白人だということで愛想よく「どうぞどうぞ、いいですよ」と入れてくれる。同じような話は数名の知人から聞いている。特別扱いされたくない人は断る。私も一度、イタリア人の知人(彼は日本に数年の短期滞在)と同じ状況になったことがある。二人で断って別の店を探した。彼もいい気分はしなかったと言っていたのを覚えている。

こういうのもある。先にあげた星恵土 ゼインさんへの返信だ。

こういったケースを個人的に聞く割合から、日本にはこれら人種差別が広くはびこっていることが推定される。

世界の人々が緊密につながる2020年。それが経済活動や人道支援にプラスになり、しかもSNSが政治にも影響を与えることのできる時代だ。しかしこれらは、人が人として分け隔てなく信頼しあえることが基礎があってのこと。「悪意のない差別発言」などという言い訳は、もはや許されない。教養不足、人種差別者として非難されるべきなのだ。

おまけ
「見た目外国人」の日本人親子を苦しめる誤解 | 子育て | 東洋経済オンライン

在住外国人の経験談(日本語字幕あり)

法務省委託研究「外国人住民調査報告書」
22ページ以降に、住居や就職、レストランなどへの入店などで、差別を受けた経験のデータがある。ぜひ一読あれ。

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