指揮者はなぜ指揮棒を持つのか?
「指揮者は指揮棒を使って、オーケストラに指示を出す人だから、指揮棒は必需品だ。」
これは素人考え。
「50人以上の大編成オーケストラだと、遠くの奏者が見やすいように、指揮者が描く図形を大きくする必要がある。腕の長さには限界があるから、指揮棒を持つ。」
これは教科書的答え。
大編成では40cm以上の長い棒、小編成では25cm程度の短い棒を使い分ける。これもそれなりの効果はある。
これらは間違ってはいないし、一般的に広まっている考えのように思われる。
しかし技術の未熟な指揮者が、この考えだけで指揮棒を持つと、棒が邪魔になり、オーケストラが混乱することが往々にしてある。
小澤征爾は、マーラーだろうがブルックナーだろうが、ほとんど棒を持っていない。ヴァレリー・ゲルギエフの指揮棒は年々短くなってきて、今は爪楊枝を持つか、何も持たないかだ。
なぜ彼らはこういった選択をしているのだろうか。その前に、指揮棒を持つことの弊害を考えたことがあるだろうか。
アマチュアが指揮棒を持つ場合の弊害
特にアマチュア指揮者に顕著な弊害を二つあげておく。
一つは、指揮棒の先端をコントロールできていないこと。斉藤メソッドでいう「叩き」のできない指揮者は棒を持つべきではない。「叩き」ができないということは、素手でさえも明確なテンポを見せることができていない。つまり、手の動きを拡大する指揮棒の先端は、全くコントロールされていない状態だ。だから指揮棒の先端が「遊んでいる」とか「ぶれている」ことになってしまう。棒の先端を見ている奏者にとっては甚だ迷惑な話なのだ。
二点目は、棒をもつことにより右手の自由度が奪われ、音楽表現ができなくなること。何も持っていないと、手と五本の指を使って様々な表情を表現できるのに、棒をもっているがために、これが制限される。したがって棒を持っていない左手を駆使することになるが、これはこれで高度な技術になる。
棒の先端に拍を出せるかどうか
指揮棒を持つならば、自分でその先端の動きを感じ、先端で拍を感じなければならない。握りの部分で拍を感じているようでは、先端はコントロールされていない。
これは頭ではわかっていても、なかなか難しいことである。軽く握っているときも、力強く握っているときも、ピアノでもフォルテでも、レガートだろうがアクセントだろうが、どんな振り方でも先端に無駄な振動や揺れが出てはいけない。これは自分で確認するのは難しい。自分ではできているつもりになるから、きれいに見えてしまうのだ。
指揮の見方をよく心得ている楽器奏者数名に、自分の指揮を見てもらって手拍子をしてもらうと、ブレがすぐにわかる。また、手を見る人と棒の先端を見る人にグループ分けして手を叩いてもらえば、手と棒の先端のタイミングのずれがあることに気づく。そもそも肘と手を一体化して指揮をすることさえ簡単ではないのに、棒をもつのはさらに高度な技術なのだ。「叩き」については下記ノートを参照いただきたい。
棒の先端で表現することは非常に難しい。弦楽器が弓先を繊細にコントロールできることと同程度以上に難しい。
経験を積んで、自分のスタイルとして持つか持たないかを決めるべし
指揮棒を使いこなせるテクニックを持っていても、持つか持たないかは好みの問題。これが結論だ。
私の場合は、指先で音楽を感じ表現したいときは指揮棒を持たないし、棒の先で表現したい場合は指揮棒を持つ。
棒を持たなくても、効果的に指揮をすることはできる。何も腕を大きく振り回す必要はない。指揮の腕の動作は、指揮のほんの一部でしかない。Non-verbal communication(言葉によらないコミュニケーション)の比率は非常に大きいのと同じく、指揮は腕の動作以外のファクターが非常に大きい。
指揮者として何かをすること全体について、よく考えることのほうが、棒を持つか否かを選択することよりもはるかに重要なのだ。
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