相手国の立場から理解する戦争の歴史はグローバルに活躍する大前提
フードコートでのある日の昼食、年配のご夫婦がおられたテーブルでの相席をお願いしたら、快く椅子をすすめてくださった。そのご主人と一言二言交わすと、彼は「シンガポール人じゃないね」と私に聞いてきた。私が日本人だというと、すぐに戦争時代の話になった。日本軍がシンガポールを占領した1942年、彼は7歳だったそうだ。
グローバルに人と繋がり、世界を舞台に活躍するためには、多様性を認めることが大切だというのが教科書的なポイント。そのために非常に重要になるのが歴史の理解。特に75年前に終わった戦争についての理解は重要というのが私の主張だ。
私の同僚やビジネス相手を見れば、アメリカ、シンガポール、フィリピン、中国、インド、韓国、ベトナム、マレーシア、タイ、インドネシア、ミャンマー、イギリス、オーストラリア、ロシア、全てあの戦争で日本が戦い、占領した国である。
客観的事実は一つでも、立場が違えば解釈は異なる。国によって教育も異なる。教育は洗脳でもある。教えられたことのみに頼っていると視野は狭い。視野が狭いと、違う解釈と遭遇した時に感情論になってしまってどうしようもない。だから相手の立場からの解釈を知っておくことが重要なのだ。
日本の無条件降伏の時点での彼は10歳だから、記憶は鮮明である。
「町中を爆破し、中華系一般市民をまとめてトラックに乗せて連れ去った。」友達の父親もそれっきり行方がわからないそうだ(ジャングルの中で中国系一般市民の粛清が行われたことはその後に明るみとなる)。
だから日本の無条件降伏には「ざまあみろ」のような感情。そして日本の復興には脱帽するが、アメリカの飼い犬に成り下がったことに残念とも軽蔑とも言える感覚を持っておられた。
しかし彼はハッキリと「君たち戦後の世代に責任はない」とも言っていた。
私が戦争世代の方から直接話を聞くのは、自分の祖父母以外では、Los AngelesのMuseum of Toleranceで聞いたアウシュビッツから生還したおばあさんのお話、そして今回が面と向かって話を聞いた初めての経験だった。
私はこのご老人との会話を嫌とは思わなかった。むしろ彼の視点での当時のことを直接知れたことは良い機会だと思った。別れた後、自分がそう思えたのは、これまでに読んできたさまざまな視点からの歴史書のおかげであると思えた。
さまざまな立場から描かれた事実(様々な国の著者による)を読んでいくと、真実がおぼろげながら見えてくる。そして解釈は時として大きく異なることも知ることができる。
自分の歴史の理解と、シンガポールのその現場にいた人の歴史認識が全く違っていれば、喧嘩になっていたかもしれない。私は美味しくお昼ご飯を食べながら、そのお爺さんとこれからの両国関係や世界情勢についてお話をすることができた。奥様は横で微笑んでいた。
事実を多角的に、相手の立場から知っておくことで、未来に向けた会話ができるということだ。グローバルに活躍するには、このことが非常に大切であることを身をもって知った。
関連ノート
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Gwen Terasaki, "Bridge to the Sun"
青木冨貴子「昭和天皇とワシントンを結んだ男」
山崎豊子「二つの祖国」
北康利「白洲次郎 占領を背負った男」
Romen Bose, "Singapore at War"
岩崎育夫「物語 シンガポールの歴史」
Lee Kuan Yew, "From Third World to First"
Victor Frankl, "Man’s Search for Meaning"
Heather Morris, "The Tattooist of Auschwitz"
ヘッダー画像: 1942年2月、日本軍の初期攻撃で黒煙をあげるシンガポール sourced from World War II Database
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