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ニトラム/NITRAM(2022)

 オーストラリアで実際に起こった銃乱射事件を映画化した作品。事件発生時27歳だった青年が犯行に至るまでの経緯を描く。評価の高い作品だが、なかなか重厚なテーマなだけに気力体力のある時に観ようと思い本日ようやく鑑賞した。ただのドキュメンタリーにとどまらない素晴らしい作品であり、もっと早く観るべきだったと少し後悔。ただし事実とは異なるところも多いようなので、あくまで映画としての感想を述べる。

<あらすじ>

1990年代半ばのオーストラリア、タスマニア島。観光しか主な産業のない閉鎖的なコミュニティで、母と父と暮らす青年。小さなころから周囲になじめず孤立し、同級生からは本名を逆さに読みした「NITRAM(ニトラム)」という蔑称で呼ばれ、バカにされてきた。何ひとつうまくいかず、思い通りにならない人生を送る彼は、サーフボードを買うために始めた芝刈りの訪問営業の仕事で、ヘレンという女性と出会い、恋に落ちる。しかし、ヘレンとの関係は悲劇的な結末を迎えてしまう。そのことをきっかけに、彼の孤独感や怒りは増大し、精神は大きく狂っていく。

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<感想>

 始まった途端「主演の俳優さん、ゲットアウトのローズの弟に似てる!」と思い調べてみると大当たり。粗暴な弟を好演していただけに期待値が一気に上昇。(完全なる余談だが、ゲットアウトでこの弟ジェレミーを見るたびに、バイオ7に出てくるベイカー家のサイコ息子を思い出してしまうのは私だけだろうか?)

 最後に何が起こるのかという結末を知っているだけに、マーティンに何かが起こるたび地獄へカウントダウンしているような気持ちになる。映画が進むにつれて状況は悪化していくのに、少しずつ吹っ切れていくマーティンにはどこか清々しさすら覚えてしまう。まさにジョーカーと同じ流れだ。

 途中で出会う裕福でミステリアスな女性ヘレン。マーティンにとって唯一の希望だっただけに失った時の反動は凄まじい。不運が続く人にとって、突然訪れる幸せはまさに人生の救世主の如く輝くが、それを失うと「やっぱり自分は惨めだ」と決定づける要因になってしまう。ヘレンと一緒に行く予定だったLAに1人で行くシーンは実に切ない。彼女が優しさで残した遺産が奇しくも武器を買う資金になってしまうというこの不条理さよ。

 レビューでは息子に理解を示さない母親が悪く言われていたが、私はあまりそういう印象は受けなかった。むしろ問題ばかり起こす息子に手を焼きながらも見放すことはなく、彼女なりに息子を理解し、何とかして歩み寄ろうとしているのがとてもリアルに感じた。映画終盤、ガールフレンドがいると母親に嘘をつくマーティン。その表情から息子の中の変化を感じ取った母親。畏怖とも寂しさともとれる表情が素晴らしい。
 いつも息子の味方であり続けた、父親の寛大な優しさも忘れてはいけない。批判的な母親とはまた違ったアプローチで我が子への愛情を示している。

 最後に思わず感心したマーティンの言葉を紹介したい。

”時々僕は自分を見て、分からなくなる。誰を見ているのか…そいつには届かないんだ。皆んなと同じになるようにそいつを変えたいけど、方法が分からない。だから結局僕はここにこうしているしかない”

 人と違う自分に葛藤していることをよく表しているなと思った。自分のことを客観視すればするほど、嫌悪感でいっぱいになることありますよね。マーティンはおそらく何らかの発達障害を抱えている。父親の葬式に派手な格好をしてきて母親に追い返されるシーンがあるが、マーティンなりに父親への思いを込めた服装だったのだろう。皆と同じであることを強要する社会が、マーティンの孤独をより一層深めていることは間違いない

 1990年代の懐かしく美しいオーストラリアの風景も相まって、悲惨な結末でありながら、あまり陰鬱な雰囲気を感じさせないのがすごい。繊細だが衝動的なマーティン。世界から少しずつ自分の居場所がなくなっていく息苦しさを見事に演じきった主演のケイレブ・ランドリー・ジョーンズが、カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞したのも大大大納得だ。

 殺害するシーンは映らないのでグロいのが苦手な方でも鑑賞できると思う。銃乱射事件のみならず、その背景にある孤独と人生への絶望という全人類にのしかかるテーマ。この映画に出てくる人物それぞれの立場から考えてみるのも面白そうだ。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

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