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道を聞かれた。

先日、道を聞かれました。
できごととしては、何も珍しいことではありません。

でも、自分はフランクフルトに来て数ヶ月だし、何より「ドイツ人」に見えないだろうに、なぜ自分に道を聞いてきたんだろうと思いました。
もちろんドイツ語で聞かれました。

例えば、このできごとが起こった場所を、日本に置き換えて考えてみましょう。

道を聞く側、「日本人」であるわたし。
道を聞かれる側、ドイツからやってきて数ヶ月の「ゲルマン系のドイツ人」。

こういうことが起こるということが、ちょっと想像しにくいように思います。
仮に、これが外国人人口の多い東京でも同じじゃないでしょうか?

なのに、道を聞いてきた人は、なんで自分を選んだのか。
ちょっと考えてみたのですが、「ドイツ人はこういう感じの人」と無意識に規定していたんだなあと。

良い人ぶるわけではないですが、自分は人種とか国籍について偏見はかなり少ない方だと思います。実際、妻も日本人ではないですし、日本国籍以外の人や人種が異なる人といっしょにいることにほぼ抵抗はありません。


ですが、「〜人」というものに対して、実はステレオタイプを持っていたんだなあと気付かされました。

自分はドイツ人に見えないだろうと思っていたのですが、フランクフルトで生活しているという時点でアジア系ドイツ人と見られてもなんら不思議ではない。実際、フランクフルトにはアジア系の方も多いですし、ドイツ語で生活されています。

だから、ここにいる人にとって、見た目はアジア系でもドイツ語で話しかけてもなんら不思議なことではないんだなあと。

頭では、日系〜人の人が世界中にたくさんいることは知っているけで、実はよく理解していなかったんです。特に、こういう大都市では、「〜人」ということに見た目は関係ないんだなあということを改めて感じ入ったできごとでした。assimilationというのはこういうことなんだなあ。

海外塾の責任として、海外塾で働く人間は、こういうことも言語化して伝えていかないといけないなあと思います。