『近代の超克』雑感
※廣松のではなく、オリジナルの方。
論文
・吉満、下村の2論文だけが異質。ギリギリの抵抗が感じられる(同時期、田中美知太郎は後に『ロゴスとイデア』に収められる諸論文を書いていた)。
・西谷論文も冒頭の問題設定は優れているが、後半あちゃ~、となる。
・林房雄の論文は亀井勝一郎のそれに比しても痛々しい。が、それは今から見たらそうなのであって、当時の知識青年達のある一面を的確に記述しているのでないか。
座談会
・1日目冒頭の、吉満・下村・西谷の三つ巴の議論が面白い。参加者の中では中世に比較的高い価値を置く吉満に対して近代の意義を評価する下村が対立するが、その二人はともに西谷の無の哲学には批判的である。
・吉満がプランクに言及しつつ、科学者の宗教観を語る部分があるが、科学者をプランクで代表していいのかは謎だ(量子力学分野のもっと若い科学者たちは違った価値観を持っていただろう)。
・上記議論に置いてきぼりを食った日本浪漫派・文学界グループに配慮してか、司会の河上が話を切り替えてしまう。もったいない。
竹内論文
私が面白いと思っている吉満・下村・西谷ラインの議論には突っ込んでないが、これはこれで大事。不在の保田與重郎の存在感。
野家啓一が「今から見て読むに堪えるのは下村の議論のみ」(京都哲学撰書の下村の巻)と言っている意味を考えるべき。