『アンチ・オイディプス』の雑な感想② レンツ
『アンチ・オイディプス』冒頭で引用されるビュヒナー「レンツ」を読んでみた(岩波文庫の岩淵達治訳)。自然描写が多く、主人公レンツの目に映るそれらが印象的だ。物語ではレンツの狂気が深まっていく様が描かれていくのだが、そもそもレンツ独りが狂気を孕んでいるというより、作品世界全体が何か神懸かり的である。例えばレンツの世話をするオーベルリーン牧師や、レンツがオーベルリーンを見送った後で迷い込んだ小屋にいた少女(映画『エクソシスト』に出てきそう)など。私が読む限りでは、登場人物中にいわゆる正常なものをあまり見出せない(強いて挙げるならオーベルリーン夫人か)。
この作品をドゥルーズ=ガタリがどのように読んでいるかは、仲正昌樹『<アンチ・オイディプス>入門講義』の簡にして要を得た解説を参照されたい(29頁~ さすがヘルダーリンで博論を書いた仲正さんだ)。私には、レンツの神との<交感=交歓>はその直前に述べられるシュレーバーとも関係しており、彼らはドゥルーズ=ガタリが提示する「機械」概念のもとで統一的に解釈されているように思えた。
ところで、ビュヒナーが時代に先駆けていたということは正直「レンツ」を読んだだけでは分からなかった。レンツに関する資料を読んだビュヒナーが、彼の本業(?)である自然科学者の手つきで物語を造形している面はあるのかも、とは思った。
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