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君がパンだと思って食べているのはパンじゃない

パンの味がするパンは、日本でほとんど見かけることはないとわたしはそうおもっている。(まあ、近所というかその辺でという意味)


わたしが初めて、パンとは本来こういうものだったのだと知ったのは、23の時に初めてフランスに留学したその時だった。
4、5ヶ月足らずの短い期間だったけど、その生活はいまの自分のベースを築き上げて一生ものとして不動になるのに十分な体験で、とくに何か人生を変える出来事があったとかそういう意味ではないけど。


わたしはフルタイムで語学学校に通い、アンドゥートゥロワだのから学び、赤ちゃんのように言葉を習得する喜びに取り憑かれた。
Hの音が完璧に発音できるまで昼夜練習をし、フランス語を喋っているというたったそれだけの事実にひたすら酔いしれる夢のような日々。

その街は、パリからアーペーセーだかテージェーベーだかという、新幹線的な電車で小一時間の街で、ちょうど日本で言うところの東京都内から軽井沢に当たるそんな場所だった。
徒歩30分圏内で端から端まで歩けるくらい小さな街は、幻想かとおもうくらい美しいアルプスの山々に囲まれており、そんな自然のど真ん中の田舎に、香水とか化粧品が売っている
デパートがあるようなところが「上流階級の休みモード」に憧れてやまなかったわたしにとって最高の環境であった。

そしてわたしが、「パン」とは本来、こういうものだったのだ
としょうげきを受けたのが、その街のいたって普通の小さなパン屋で買った、まぎれもない、いたって普通の、パン。


家から学校にいく間のパン屋でバゲットを買うと、それがこれまでに食べたことがないようなパンの味がしたので、「ん?」と思い、街にあった別のパン屋でまた、同じようないたって普通のパンを買った。

そしたら、それもまた、普通に、いままで食べたことがないようなパンの味がした。


ま、ま、まさかと思い、町中のパン屋で同じような普通のパンを片っ端から買った。

それは、全て、デフォルトで美味いことがわかり、はるか彼方の外国からやってきた純真無垢だった少女はひどく衝撃を受けたのだった。


これまでに自分がパンだと思って食べていたパンは、パンのような雰囲気を醸し出しているし、パッケージには確かに「パン」と書いてあるし、見た目はまあまあパンらしく美味しそうなやつが、ほとんどまるで、別ものだったことを知ったときのあの裏切られた感よ・・・


ちょうどアメリカ人にとって、麺が一律でnoodle であってうどんもそばもきしめんもそうめんも、noodle であるように、わたしたちはパンのことをパンだと思ってきたが、

それはこの世には、うどん以外の麺も存在したことに気づいた記念すべき瞬間である。


ぐでぐでにのびきったうどんのことをうどんだと思っていたのが
香川かどっかで奇跡のコシのある、神的な讃岐に出会い(や、行ったこともないし食べたこともないけども)その一生忘れられない感動を、わたしはそのあと日本に戻ったあとも、とくに探して追求しようとか思うこともなく、スーパーのパン売り場でおとなしく、「パン」と袋に書かれたそのパン風の何かを手にとって毎朝食すのであります。

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