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女神の台所へようこそ


わたしは現在セラピスト(身体ではなく精神と魂、こころのケアの方です)という仕事をしているのですが

20代のころニューヨークに約6年住んでいたころ、「料理」を生業としていました。


ジャンルは”菜食””ベジタリアン”、
そうはいっても本当に幅広いので、なんとも言い難いですが
長く勤めたのはマクロビオティック(身土不二の精神に基づいた玄米菜食を推奨する考え方←正確にいうと菜食ではない)の店でした。

ヴィーガン(卵・乳製品もなしのベジタリアン)のファーストフード的な店でも働きましたし、酵素を壊さない温度で調理する、ローフードというスタイルも一時はまって人体実験とともに研究していたりとか。

(詳しくはこちらのプロフィール詳細などご覧ください)


もともと食の道に進んだきっかけは、真理の追求というか
人間にとって、中心には、根本にあるものは一体何なんだろう?というような根暗な疑問ですね。


単純に食い意地がはっていたりとか、何かを「作る」ことは一般的に好きだったし、
海外に住んでからは
「食べもの」を通してみえてくる世界じゅうの文化であったり
人間模様に夢中になったところもあるけれど

その当時とっても苦しかったわたしは、


その中で幸せを探し求めたり「生きる」って一体何、
という出口のない迷路の先に

どうしても「食べること」が
なにかを命運を握っているようにおもえて仕方がなかったのです。


その後アメリカに渡り、がむしゃらに「食」を追求したももの
どうしても今後のライフワークとして繋がらなかった自分は、


一旦人生をリセットし、日本に帰り、出産を経て
セラピストとして活動を始めましたが
ひとまわりして、
けっきょく根底にある想いに戻ってきてしまいました。

「いのち」を紐解きたい、とか「人間」って面白い、
とか「生きる」って尊いよな、とかいう。ああ。



癒しを進めて
自分の内側がクリアになればなるほど、一度は離れたはずの
「食」は、自分の中に確たる存在感を増していって

しばらく全力をかけて抵抗を続けましたが

とにかく「食べる」ことというのは、
単に栄養学的な身体を構成する要素だけではなく
いろいろなものを包括しているわけです。



わたしたちが自分自身と向き合っていったり、
壮大な過去の記憶を(いわゆるカルマ的な)
癒していったりするとき
目に見えない精神的な世界ににフォーカスしていゆく。


それは物質的なこの世界とは対照的に、目にみえない世界。

そこをこんど、どんどん深堀していくと

「魂は、どうしたって身体とは完全に別次元に存在している」という
あたりまえのところにたどり着き、

最後湧き上がってくる、エンドレスな疑問。


「では、身体を持っている意味はどこにあるのか?」


ひとの心という目に見えない存在に対して、

目に見える、ひとの「身体」というのは
「食べる」ことが直接的に支えていますから

つまり

日々、ああだのこうだの言いながら
「食べる」ことをていねいに見つめていくことで

「からだ」を持っている意味のようなものを
紐解くことができれば

身体とこころと魂を

それぞれ別に、兼ね備えて
この世界に存在している「人間」のことが

それでようやく「全体的に」
理解できて、見渡せるのではないかな、と思う今日このごろです。


そんなひとつの目的の元、

「世界の台所といっても過言ではないニューヨーク」にて

ベジタリアンというひとびとの生き様を見つめながら
他の人が中々やったことがないことを経験しながら
自分なりに見つめてきた視点が

ほんの少しでも
「食べる」ことで迷っている、「生きる」ことで迷っている
誰かの人生にとって、何かのヒントになるといいなと願いながら。

それは、セラピストとして
全てのひとびとが癒されてほしい、
自分という存在を見出しながら、幸せをつかんでほしい
という願いも同時にこもっていて

全てのひとと同じように
迷いながら、苦しみながら
これまで必死で生きてきたひとりの普通の人間としての

ひかりを探す旅を、自ら照らしていく意味もあります。


そんな小さな灯火を、

ひとびとと共有しながら

「生きている」というそれだけの事実に

ささやかに触れてもらえるように

「食べること」にまつわるどうでもいいはなしを
ああだのこうだの言いながら

台所で繰り広げていきたいとおもいます。


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