100パーセントプライバシーのない生き方
わたしにはずっとずっと、
やりたいことがありました。
一生死ぬまでやり続けたいことがありました。
それは、
「セラピスト」ではありません。
人の悩みの状態を明確にするとか
セッションをして誰かが楽になるのを見るとか
誰かの背中を押して、思うような人生に導くとか
自分が発信することで、誰かが気づきを得るとか
そういうことではないのだと思います。
ひとつ、
またひとつと、
自分のことがわかってきます。
ちいさな違和感が出て、
立ち止まり、
何歩も下がり、
そしてそこに落ちている欠片を拾い、
ちいさな違和感が出て、
また立ち止まり、
そしてまた一歩下がり、
そこに落ちている欠片を拾う。
わたしが淡々としているのは、
今そんな作業です。
すごく、時間がかかるのです。
わたしが2007年にブログというものを始めたとき
「プライバシーのない生き方がしたい」
という切なる想いがありました。
わたしは、苦しかったのです。
生まれてから、ずっと、
ただ、ただ、
自分がなぜ生きているのかわからなくて、
自分がなぜひとから愛されないのかわからなくて、
ただ、
ただ、
苦しかった。
わたしは、いつか、
いい人間になりたかったです。
聖人のようになって、愛に満ちた人間になれば、
ひとは、私を愛してくれると思った。
わたしが悪い人間だから、
だから皆わたしのことが嫌いなのだと
ずっと思っていたのです。
だから、そのためになら、
何でもやりました。
たくさん勉強をしたし、
たくさんいい成績をとって、
100点も学年一位もとって、
いい仕事に就いて、
ひとから羨ましがられる会社で働いて、
全力を尽くして、
ひとに認められて、
評価されました。
ひとはわたしを信頼したし、
昇進して、可愛がられて、
何も、問題ないように見えました。
わたしは、いい人間になりたかった。
そうしたら、
みんな私のことを
愛してくれると思った。
そのためになら、
なんだってやったのです。
なんだって、どんな苦しいことだって、
厭わなかったのです。
わたしは、アメリカにいって、
やりたい仕事につきました。
料理がしたくて、菜食の哲学を
もっともっと探求したくて、
みんなに尊敬されるポジションで、
がむしゃらに働いて、認められて、
お店を任される話ももらいました。
好きだったお店になんどもなんども足を運び、
「ここで働きたいんです」と
通りがかる度に
なんどもなんども扉を叩いて
しつこいくらいに聞いて、
スタッフに日本人が一人もいなかったお店で、
初めて採用されました。
どんな努力も、厭わなかったのです。
自分がやりたいことをやるのに、
何の躊躇もありませんでした。
わたしは、
自分のことが好きになりたかった。
好きなお店で働いて評価されたら、
好きな仕事に就けば、
わたしは、
もっともっと
いい人間に近づけると思っていました。
経験とか技術とか、
とくべつなことをたくさんすれば、
そうすれば、
ひとは、
わたしのことを愛してくれると
認めてくれると
思っていたのです。
わたしは、
ブログを始めたそのとき、
プライバシーのない生き方をすれば、
そうすれば
必然的にわるいことができなくなるから
だから、
きっといい人間になれるのだと
そんな風に思っていたのだと思います。
わたしは、たびたび、
書けなくなりました。
書くことが、怖くなり、自分に自信がなくなると、
ブログを休み、
そしてまた再開するという期間が何年も続きました。
わたしは、
いつまでたっても、
幸せではありませんでした。
そして、いつからか、
わたしは、
自分の中をできる限りクリアにしていくという
そういう作業をはじめます。
幸せとか、不幸せとか
何の仕事についているとか
そんなことはどうでもいいから、
とにかく、
とにかく
自分のなかを
クリアにしていくという
それだけを
やりかたがわからなくて
しくじりながら、
たくさん遠回りをしながら、
最後の望みの
細い細い糸をたぐりよせるように
それだけを見つめるようになっていきました
「感情をただ、感じる」
ということを体感してから、
わたしは自分のなかをexposeしていくスピードが
加速しました。
やりかたを間違え続けて無駄なエネルギーを浪費してきた
いままでの遠回りを埋め合わせるかのように
それは、続いています。
そして、自分がひとつ
透明に近づいただけ、
ほかのひとの中にある「濁り」が「縺れ」が、
どこに隠れ、そして何色で、
どんな匂いがするのかが
ひとつ、
わかるようになっていくのです。
「感じ」、「落ち込み」、「苦しい」のは
おそらく今も昔もなにも変わっていません。
でも、まったく違うことは、
「抜ける」まで難なく「待てる」ようになったこと。
そして、昔苦しい時に自分の中がドロドロしていて
その醜さに圧倒されてしまって
「書くことができなくなってしまった」のとは違って
いま、
全てのワクワクが消え、そして
全ての行動が止まったとき
わたしは、
淡々と、
息を吸って吐くのと同じ様に、
「書く」ことをしていました。
わたしにはずっとずっと、
やりたいことがありました。
一生死ぬまでやり続けたいことが
ありました。
それは、
「セラピスト」ではなく、
わたしが、わたし自身のなかを
飽きることなく、
いついつまでも、
どこまでも、
クリスタルクリアに近づけていくことです。
いつか、
もう透き通って
その形が見えなくなってしまうその時まで
淡々と、淡々と、
その地味な作業を続けていった先に
何が見えるのか。
それが、
わたしがずっとやりたいことで、
そしてこの先も、
ずっと続けていきたいこと。
そして、
当時切なる想いを当時抱いたのと
何ひとつ変わることなく
「プライバシーのない生き方」がしたいと
今も迷いなく感じています。
でもそれは、
何もかも洗いざらい書けば、
「自分がいい人間になれるだろう」と
そのとき勘違いしたのとは
まったく別の感覚です。
わたしは、
いい人間になる必要などどこにもなかった。
聖人になる必要など、どこにもなかった。
ただ、自分の、
そのままを、醜い姿を
汚い感情を
ドロドロした卑しい姿を
全て晒しきることで
それだけで、
ただそれだけで、
よかったのです。
自分ができることなど、
何もない。
偉そうに、ひとにアドバイスをするしごと。
そして、ひとは、
確かに、変わっていく。
でもそれは、
本当にあとからたまたまついてきた
楽しみ以外の何ものでもなくて
自分の好きなこと
自分のやりたいことを
じっと耳を澄ませて見つめていった先には
「わたしは、自分のすべてを、
宇宙に明け渡したい。」
自分のことについて
書けないことがひとつもないくらいに
すべての光も闇も
洗いざらい人の目に晒し、
100パーセントプライバシーのない
そういう生き方がしたいと思います。
それは、
わたしにとって、
信じられないほど、
想像を、
絶するほど
楽な「在り方」だろうと
そう
思うのです。
December 27, 2015
松永まい
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