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イタリア男は サスペンダーをしていた ある日、イタリア男が家でつくるランチに招待してくれたので マンハッタンの24時間走る地下鉄にのって、川を渡った。 おじゃますると
つづき 所帯染みた家家を横目に歩くと 一軒だけ小さめのスーパーがあって 手ぶらで訪れるつもりしかなかったわたしは 特に何かを買う予定もなく、 ぶらりと その古くて汚い、店の自動ドアをくぐった。 ドアが開く瞬間の 独特の乾いた、アメリカのgrocery store 食料品店の匂い。 マンハッタンにも同じように山ほどのスーパーと呼ぶにふさわしいような店もあったが、 わたしはその、スーパーマーケットではなく”食料品店”という言い方が とても、好きだった。 それは
その日は今日のような爽やかな、夏の陽気の残りカスが混じった秋晴れで ハドソン川の向こう岸について、 その川沿いの公園から一望できるミッドタウンのビルたちは 中にいるときはねずみ色の無機質な巨人に囲まれているようなのに それはそれは、 美しい並び方をしていることを知った。 視界を遮るものはなにもなく、空には雲ひとつなく、 わたしはやっぱり 何も持っていなかったけれど その真っ青な風景を ただ何枚も、カメラに収めた。 バスだか電車に乗って向こう岸へ渡る機会は
スプリング通りで下車した日は北に緑とベンチ横をスキップで ハウストン通りで下車したら東へ並木道の下大股で歩く そして一番好きな交差点 アメリカ通りとプリンス通りが交わるところへ辿り着く 向かいのコンビ二のパトロンは韓国人 最高の5月の陽気の中20ドル握りしめ買うは1ドルのパクチー おつり19ドルとレジ横のリンツのチョコレートのおまけ 行く度に絶対チョコレートを持たせてくれるお兄ちゃんに 今日は残ったおかずを持って行く トーフと南瓜炒め白みそ和え。魚入り。 おいしい
④つづき 10日間の瞑想中 毎朝、毎昼、毎晩 食堂で交わされるのは、決して合わせてはいけない、視線 その、逸らした視線の先には テーブルに盛られた食事や そこにいる人々が皿の上に何を乗せて どんな風に食べて どんな服を着て どんな歩き方をしているのか? ひとことも言葉を交わすことなく、 同じ空間を共有する人間たちは そのなかで”気の合いそうな人間””気に入らない人間”に目をつける。 10日間の沈黙が明けた後、 その時空を共有した人間たちがどんな声を発す
ごはんを作るシゴトをしている。 毎日、毎食、毎回真剣だ。 何十食も立て続けにフライパンを振っていると 次第にやっつけシゴトになってくる。 レストランで働いたことのあるひとはわかるとおもう。 日々当たり前に 山のように捨てられる残り物や食材達。 にんじんの端っこや 容器からあぶれたインゲンは まだ人の口へ行くのを楽しみに待っているのに 色んな理由から 次々とゴミ箱へ捨てられてゆく。 だから私は一日に 何十本ものにんじんやたまねぎを 腕に抱えてめちゃくちゃに愛を注
”少しの野菜とくだものと、そしてハグとキスがあればそれでいい、 わたしの人生。” 2010年頃から長い間 掲げていた、わたしのタイトルがこれだった。 その生活は ほんとうに シンプルなもので でも質素だったが 地味ではなかった。 わたしの料理のひとつのルールに どこまでもシンプルに、 でも決して野暮ったく地味にはしないというものがある。 それはいつも、 洗練されていてほしい。 それはいつも、 美しくなければいけない。 それがあって 初めて
わたしが ニューヨークなんて場違いな場所に住んでいる理由というのは 10個か500個くらいあるのだけども そのうちのひとつは やさいとくだものが、 日本よりもよっぽど安くてクリーンなものが たらふく食べられるというとこにある まあ世界のどこもかしこも オーガニック流行りにゃ変わりないのだろうけど 日本に帰ったときに 食べ物がとっても割高で にんじん一本100円した日にゃ 目玉が飛び出るほど驚いてしまったのをおもいだすわけです ◯ 季節ものの小さなつぶつぶ
背筋にぞくっと何かが通り、 その匂いの中に全部融けたら、 "ああ、生きてゆけるわ."と 思う。 たぶん、anise seedとcardamonのせいかもしれない。 死ぬまで生きればいいし、 使えるまで使えばいい。 lemonの匂いと 昨日のフィルターがかった夕陽に救われて 故郷に帰る。 何かを恋しがる、 mother to be. organic. June 28, 2009 Néné Table in NY ◯ June 07, 2017 追記
思い思いの水無月は こっちでもあっちでも着実に過ぎて行って 水のない月の間わたしは混乱したまま 気づいたら時間だけが過ぎていた そんな夜 久しぶりにもう一度 色々な事を素直に楽しいと感じられて もう一度シンプルに、いこうとやっと思えて 食べる事も料理をすることも 苦しくてしょうがなかった数日を抜けて カリフラワーを食べたときに、 なんと、カリフラワーの味がした。 そのとき本当にほっとして にんじんが、甘いと感じられる そんなあたりまえの感覚を失っていたわ
秋。 季節が入れ替わり、まずわたしが始めることは スープを作ることだ。 わたしにとってのご馳走は、シモフリとかフォアグラではなく 自分でこしらえた 一杯の野菜のスープ。 夏のご馳走だったら、果物だけで作ったスムージーだったり 庭でちぎってきたレタスとかトマトを常温でお皿に盛って レモンとオリーブオイルと塩をかけただけ とか 年中だったら オーブンから上がったばかりの スコーンであったり 上質な一杯の紅茶であったり そういうもの。 わたし