誰かの心の欠片をもらうこと
幽霊街の詩
昨日久しぶりに、高校生以来の親友に会うことができました。お互いの都合や緊急事態宣言などが重なり、実際に会うのは半年ぶりくらいだったと思います。
彼女の誕生日が5月にあったこともあって、私はお気に入りの詩集を贈るために持って行きました。嬉しいことに、彼女も私に贈り物を持ってきてくれていました。不思議なことに彼女が持ってきたのも詩集でした。
彼女が私に送ってくれた詩集はただの詩集ではありません。世界に1つしかない、彼女が人生の大切な場面のために作った詩集を贈ってくれるというのです。
この詩集は、彼女がずっとなりたかったお仕事に就くために作ったポートフォリオのようなものです。私も高校生の頃から一緒にいるので、その職業がどれほど彼女にとって大切なものなのかよく知っています。
無事、私の親友はそのお仕事ができることが決まりました。それを得るための過程で作った、たった1冊しかない本を贈られるということは、どんなものを貰うことより嬉しかったです。
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大切な人の心の欠片
私の両親は私や妹が小さい頃に渡したお世辞にも上手でない絵や手紙を今でもとっておいています。少し前までは、なんでそんなものをわざわざ全部きちんととっておくのだろうと不思議に思っていました。ただこれは、自分があげた昔の下手なものだからこそこう感じていたのだと思います。
人間関係って最終的には相手の心が知りたかったり欲しかったりするものなのかなと思っています。そう考えると、今回もらった詩集をはじめ、アルバムや手紙なども心の中を見えるように結晶化したものだから、大切にされるのだと感じました。
心は見えないものなので、あげたくても簡単にあげることのできるものではありません。言葉だって嘘をつけるし、何か贈り物をするにしてもそれに心がこもっているかどうかなんて本当は判断できないのかもしれません。だからこそ上手い下手は置いておいて、誰かがその指で形にした心の一部分を贈ってもらえるというのは、特別な意味を持ちます。
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おわりに
心の欠片は当事者同士の間でしか価値のないものなのかもしれません。でも誰しもがそんな自分にしか価値のない、けれども自分の中で圧倒的な意味を持つなにかを欲していたりするのかなと思いを巡らせています。
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