第7回(10月26日)の授業への学生さんたちからのフィードバックより

第7回の授業では、作業記憶(ワーキングメモリ, working memory)と長期記憶の違い、そして作業記憶内での情報の干渉について勉強しました。
いただいたコメントの中から少し紹介していきます。

  • 手続き型の記憶のお話では、最初は手順を習うが慣れてくると体が覚えている、マニュアルのギアチェンジの後~のような例がとてもわかりやすくて腑に落ちました。作業記憶の3つの構成要素のお話では、言語的はすんなり理解できましたが、空間的が最初は少し難しかったですが、赤いバックなどのお話でよく理解できました。brooksの実験では、はいといいえかYとNかという実験をやりましたが、同じバケツに情報が入った時には難しくなってしまう保持される情報同士の干渉がよくわかりました。また、このような人間の特性をしっかりと理解してカーナビなどを設計していることは初めて知る内容だったのでとても面白かったです。このような人間の特性をしっかりと把握して色々なものを設計することの重要性がよくわかりました。

  • Brooksの実験1では、YとNを指で指す方が難しく、実験2では、はいといいえを口に出して言う方が難しかったです。これは実験1が空間的情報で実験2が言語的情報だからで、空間的情報同士の干渉と言語的情報同士の干渉が起きていることがわかりました。実験を体験したことで干渉が実感しやすかったです。

  • 言語的コードと空間的コードの情報は干渉せず、同じコードの情報は干渉する、というのは実際に行った実験で体感でき感動しました。このことをナビゲーションに活かしていると聞き、今学んでいることが社会で生きていることが体感できて良かったです。

  • 計算プリント3枚がめちゃくちゃ目が覚めました。

  • 今回の授業では、記憶に関する様々な概念を学んだ。Brooksの実験を通して保護される情報が同じコードか異なるコードかによって難易度が変化することを身をもって体験できた。また、この性質を活かしてナビゲーションなどの機器が設計されていることに納得できた。

今日は、作業記憶における情報の干渉の例を、体感しながら理解してもらえるようにいくつか用意しました。

  • 今日の授業はずっと言語的コンポーネントと空間的コンポーネントの二つについて、様々な演習を通してやったのですごく頭に残った。計算問題で自分は音声付きラジオのほうが結果がよかったのだが、自分の場合は言語的コンポーネントの干渉より計算問題を処理するタスクのエンジンがかかるのが遅かったほうがより大きい影響だったと思われる。

  • 筆算の速度が恐ろしく遅くなっていて驚いた。

計算は3セッションやりましたが、1回目は「練習」です。最初の条件が「しばらくやっていなかったからすぐにはエンジンがかかりきらない」という状況にならないように「練習」のセッションを入れたのですが、足りなかったでしょうか。

  • 長期記憶と作業記憶に分かれているのは、パソコンのメモリの仕組みと一緒ですが、パソコンを使った人は脳の仕組みをもとにしたのでしょうか?

いえ、初期の計算機には外部記憶装置はなかったはずなので(テープリーダー、カードリーダー、プリンタくらい?)、独立して発達して、たまたま似た構成になったのではないかと考えますが…?

  • 「F」の字の外周を辿るBrooksの実験1は難しさに違いはないと感じた。話し声やホワイトノイズを流しながら計算問題を解く実験では、ホワイトノイズが雨音のようで気持ちよくすら感じた。 言語的コンポーネントや空間的コンポーネントの理論は興味深く、カーナビは言語的である方がよいという説明は面白い。しかし、脳科学の見地から裏付けがないと理論として不十分なのでより深い説明が聞きたい。また、コンポーネントを言語と空間だけでなくより細分化できそう。

20cの認知主義は、基本的にまず概念的にモデルを考えて、それが現実をうまく説明できるかを検証する、というプロセスです。したがって提唱されたモデルが(ある程度)現実の人間の振る舞いを説明できている一方、そのハードウェア的な実装( = 脳の解剖学的な構造)と必ずしも一致していない可能性は十分あります。私は neuro-cognitive にはあまり興味がないので現在どこまでわかっているのか最先端の情報は知りませんが(おそらく生命理工学院に詳しい先生がいらっしゃいますし、医科歯科大学にもいらっしゃるでしょう)、神経科学で得られた新しい知見から、認知プロセスモデルが修正されることも十分あり得るとおもます。
ただ、一つ気をつけなくてはならないのは、脳の構造と機能が明らかになったとして、それで人間の全ての内的処理が説明できるわけではない可能性があることです。PCに例えれば、PCが行なっている処理(の性質)は、必ずしもPCやCPUの内部構造だけでは説明できず、ソフトウェアがどう書かれているかによるものもあるでしょう。人間の「ソフトウェア」はすべてニューロンの接続として実装されているから究極まで解析すれば全て構造的に理解できるという考え方もあるのかもしれませんが、私は懐疑的です。

  • よくテレビで見かける「あお」という字を赤で表記して「あお」と発音させるようなクイズも、今回習った現象の関連で起こるものなのでしょうか?

これは意味の干渉ですね。「あお」という文字の持つ言語としての情報と、文字の色が持つ情報が矛盾している、という状況です。言語的コードと空間的コードなのでパラレルに処理する分には干渉しないはずなのですが、意味が衝突(矛盾)してしまっているので混乱するという例です。
心理学には、視覚情報と聴覚情報で矛盾する(食い違う)情報を与えた時に人間はどう処理するか、といったテーマでの研究もあるようです。

  • 情報のコードについての話が一番興味深かった。普段から勉強する時は歌詞がない曲を聴くようにしていた。これは非常に良かったのだと理解することができた。

  • ラジオを聞きながら勉強するのは、やめようと思った。音楽でも洋楽と邦楽では作業効率が違うように感じることがあるが、(母語ではない)英語を完全に言語的な情報と認識しきれていないのではと思った。

  • • 勉強する時に外国語の曲なら集中できるけど、日本語の曲は集中できないと感じるのは日本語の方が自分が言語的情報だと感じやすいからなのかなと思って納得した。情報同士が干渉するという表現を使うことが面白いと思った。たしかに、干渉が起こっている時はどちらの情報も上手く得られていないと感じる。

はい。歌を歌っていても、言語として理解できないと、言語的コードをもった情報として処理されないということはあるようですね。

  • 言語的情報によって計算は妨害され、空間的情報の方が計算はできたが、楽しかったというモチベーション的でいえば、言語的情報の方が大きかった。だから、勉強の時に僕は一時期YouTubeをつけていたのだと思った。

  • • 作業記憶は言語情報と空間情報で違う入ることを学んだ。      車のナビが音声なのはこれが理由だというのはとても参考になった。      自分は勉強中音楽を聴いた方が集中できるのだが、これはなぜだか疑問に思った。

  • 計算の実験で、ラジオの声というよりはBGMの曲調に集中を削がれました

  • よくラジオを聴きながら勉強するので、今回の実験で筆算が全然できなくて効率が悪いことに今更気づきました。ラジオを聴くことで長時間勉強を続けることができるのですが、、、、

  • 勉強中に音楽を聴くことが今回のテーマの問題であった。実際に勉強するといった言語的要素に加え、音楽(声あり)も言語的要素であるから、今回の授業では混乱し作業効率が落ちるということになっている。しかし、私はマイノリティーなのかもしれないが、音楽を聴きながら勉強する人間である。音楽は確かに言語的な要素はあるが、それを上回るほどのものがあるということだろう。音楽は人々のテンションを高めたり、落ち着かせたりする役割を果たす。今回の実験で音楽の偉大さ、ひいてはj-popの高邁さに魅力を感じた。

BGMなどの作業効率への影響は昔から研究されていました。今回の授業は同じ情報コード同士の干渉だけに着目しましたが、「楽しい」「元気になる」といった効果も無視できません。
人の仕事の環境をデザインしようとするとさまざまな要因が入ってきて複雑なのですが、でもだからこそアプローチもたくさんありうる、とも言えると思います。

  • 私はノイズの方がうるさいと感じたんですけど、恐らく親が話してる中で作業することが多いので慣れもあるのかなと思いました。

話を聴き流すというスキル(注意の適切な分配?)を身につけているのかもしれませんね。

  • 同じコードの情報を同時に保持すると干渉すると言うことで、講義中に講義を聞きながら内職をすることはどちらも言語的コードを保持することになるのでとても効率が悪いなと感じました。

はい。そうですね。焦点的注意が失敗しやすいので、課題は休み時間や放課後がおすすめです。

  • 今日の最初の実験の方で、Fを思い浮かべながらやる方はあまり差を感じませんでした。言語と空間と分けていますが、実際にはもっとあるように感じます。      また、計算をしていてふと思ったのですが、計算と言葉が干渉するのは、自分が九九を脳内で言いながら計算しているからではないかと思いました。ところで、そろばんマスターは脳内でそろばんを弾いて計算していると聞きます。実際にどういう感覚なのかわからないのですが、言葉通りに捉えれば空間的コードに分類される情報になると思います。そのため、そういう人なら差はなくなるのかなと疑問に思いました。

はい。計算を空間的な操作で行なっているという意味ではあなたの予想通りなのではないか、と私も思います。ただそういう研究論文などは見たことがないので確定的なことは言えませんが。

  • 経験的に、同じ話し声でも、聞き慣れた声より、聞きなれない声の方が集中しにくく感じる。これはどのように説明できるのだろうか。

自分の見知らぬ他者が近くにいると、人間はアラート、すなわちその他人をある程度警戒して自分の身を守ろうとします。したがってより多くの資源が「聞きなれない声」に配分される、と考えられるのではないでしょうか。


次回第8回は、作業記憶の限界について、やはりミニ実験を交えて体感的に勉強したいと思います。お楽しみに。

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