【映画】イノセンツについてちょっと書いておこうかと
今回はノルウェーの映画『イノセンツ』を見たのでその感想をちょっと書いておこうかなと思い立って見終わった直後にこれを書いています。
正直に書くと本当はネットに感想を書こうとは思っていませんでした。
というのも、個人的には本当に普通というかただ怖い&いや~な空気の映画というだけで特別ここが凄いとかここが駄目ということがなかったので、特に書くことも無いかなと思っていました。
ただ、映画を見た後にこれ自分にとっては特に言うことないけど一般的にはどうなんだろうと気になって少しネットで感想やら考察やらを調べてみたところ、あれ?そうか?と思うところがあったのでとりあえず気になったところだけでも書いておこうかなと思った次第です。
それでは、以後ネタバレ注意です。
ホラー映画っぽいけど…バトルもの?
まず、私自身の感想を簡単に書くと本来ホラーじゃない超能力バトルものをBGMやカメラワークによってホラーにしている映画だと思った。
実は人に勧められて見ることにしたので、前情報一切なし、ブランコで天地反転してるあの一枚絵だけしか知らない状態で見たので、とにかくまず「あ、ホラー映画なの?」というのが最初の感想。
冒頭の引っ越しの車のシーンはジブリの千と千尋の神隠しみたいだなーとなんとなく思っていたらいきなりお姉ちゃんの太ももつねるし、なんだこのクソガキは!?
でもどうにも雰囲気がこの一家と団地の人との群像劇や主人公?の妹とお姉ちゃんのヒューマンドラマなんかじゃなさそう。
ん~、これホラーか…と思わせるのはやっぱり団地というある種の閉鎖環境のなせる業。そこにBGMや薄暗いシーン、カメラワークを使って明らかにホラーテイストを加えているけれど、話自体はこれ超能力バトル物で別にホラーじゃないよなと感じた。
超能力で行き過ぎた困ったちゃんを倒すってのは例えばドラゴンボールで魔人ブウを倒しているのと根本的には同じだと思うし、逆に超能力が無くても歯止めの効かないサイコパスがって流れは普通に成立すると思う。
いまいち映画ジャンルの分類はよく分からないけれど、調べてみてホラーじゃなくスリラー映画と書かれているのは個人的にはしっくりくるというか、公式HPにミッドサマーを継承とあるけど、内容は全然違えど私が思うホラーっぽくもホラーじゃない感は確かに共通するところがあるなと思いました。
イノセンツとミッドサマーを比べると、ミッドサマーは白夜での話なので画面の明るさ的にミッドサマーの方が怖くない、今回のイノセンツの方が薄暗い室内等が多いので雰囲気が怖いといった感じ。
この映画の一番の怖いというか悩ましいポイントは、現実の社会問題として、こういう子どもの無垢さが行き過ぎた場合、いじめっ子やサイコパス的な子どもがいた場合にどうするのか?という部分だと思った。
この映画はバトル物なので、戦う主人公サイドが犠牲を出しながらも相手を始末するという話になったけど、現実じゃそういうわけにもいかないというか、現実だと超能力が無い状態で行われると考えると、子供同士の関係性の中で行き過ぎた奴が酷い暴力をふるったりイジメをする場合「やらなきゃやられる」と更なる暴力で始末するという話で、まさにイーダが橋からベンを突き落としたように始末をつけていいのか?という話になる。
この映画での超能力のポイントは特殊な能力という部分じゃなくて、イジメやそれに対する反撃という子ども同士での戦い、その結果犯行が大人にバレないという部分だと思う。
大人にバレない=法、大人の社会通念に縛られない
大人の社会通念が通用しないのが子ども。
もし仮に、現実にも超能力があったとしたらこの映画のようにムカつく相手をぶっ殺しちゃう子はいないだろうか?
いじめられっ子が超能力を得たら復讐として相手をぶっ殺しちゃわないだろうか?
大人でも、やったとしても超能力なのでバレない無罪という誘惑に歯止めが利かなくなる人はどれほどいるだろう。
そういう意味でもタイトルのイノセンツはなるほどと思う。
ベンについて
今回、猫を踏んずけてみたり能力で人を操ってみたりと行き過ぎちゃったベンについて、ネットで感想を見ていると邪悪な能力とか悪意が~といった感想をちらほら見かける。
そしてその原因は家庭環境、親の問題にあると。
でも自分はこれ違うんじゃないかなと思った。
まず、家庭環境に問題があったとしてもそれがイコール暴力的な衝動とはならないと思う。
アイシャも父親はおらず母親は夜な夜な泣いてばかりいるけれど、だからと言って暴力的にはならない。
イーダも姉アナにばかり気を回す両親にストレスを感じミミズを踏んでみたり、アナをつねったりするけれど、例えば親の気を引きたいからと自傷行為をしたり、万引きして捕まったりなど、何か問題行動をするにしても別の方向に行っても良さそうだし、両親と一緒に姉を気遣う妹という場合だって普通にあると思う。
しかし、イーダもベンも暴力的な方向に行ってしまうのは元来そういう性質を持っていたからに他ならず、だからこそ二人は友人になれたし、イーダに猫を殺すのを躊躇なく見せるのもベンがイーダに近い物を感じていたからだと思う。
で、肝心なのはここからで、この生まれ持った性質を邪悪とか悪意と呼んでいいのかどうか。
タイトルのイノセンツ、無垢や無罪という意味だけどベンが持つ性質が子どもゆえにそのまま出てしまった、大人なら理性や社会常識で抑えられる部分が無垢ゆえに出たことは悪意なのだろうか。
ベンは自尊心を傷つけられたから怒っただけ。
ましてや、超能力は邪悪でもなんでもなく使い方次第なのでそこに善悪は無い。
ただ、だからといってベンのやりたいように好き勝手されるのは困るわけで…。
これ、以前感想を書いた「アナと雪の女王」の氷の魔法で困ったことになるエルサと同じなんじゃないかと思う。
こういう生まれながらの困ったちゃんを社会はどうすればいいんだ問題に見える。
自分も猫を飼っているのでうちの猫ちゃんがあんな目にあわせられたら絶対に許さない。
無垢な子どもだからとか言ってられない。
けど、もしそこに本当に悪意が無いのだとしたらそんな社会的には超問題児をどうしたらいいのかは正直分からない。
意外と怖いアナとイーダの関係について
思いの外長くなったので最後にイーダとその姉のアナについて自分は怖いんだけど…どうなんだろう?という部分を書いて終わろうと思う。
一言で言っちゃうとアナってイーダのこと好きか?というのが最大の謎で怖いところ。
アイシャによればアナにも感情はちゃんとあって痛みも感じてるけど表現できないだけ。
そんな姉に対してイーダはつねってみたり靴にガラス入れたりしてたわけで、そんな妹のことアナはどれくらい好きでしょうか?
アイシャとアナはお互い分かりあえていたので、ベンにやられる前にも「私たちでやる」と言っていますがその時も助けはいらないとイーダは蚊帳の外。
アイシャを助けにやってきたことはあるけど、アナがイーダを心配して傍にいるようなシーンは無かったと思います。
ラストも、母親が出て行った後にイーダはほったらかしで一人外に出ていき、ベンを倒そうとするあたり、イーダを守るためにベンを倒すというよりもアイシャが殺された復讐や自身を守るために見えます。
アナはアイシャと分かり合えていたことからも本質的に優しいでしょうから、イーダやベンのように人をつねったりと暴力的にはならないでしょうが、イーダがピンチの時にアナは今回のように本当にイーダのために動いて助けてくれるのかな…?
ということで以上です。
あれ?書くことないとか思ってた割になんだかんだで長くなってしまった…(笑)
ここまで書いておいてあれですが、正直に言って悪くは無いけど特別良い映画というわけでもなく、本当に普通のお話がただなんか嫌な空気してるだけだと思います。
個人的にはミッドサマーの方が面白かったかな