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あの朝の父は、「海に行くよ」って言ったのに。

#わたしと海

小学生の頃に住んでいた実家は、神奈川県の海に近い、山の中にあった。こう書くと週末はいつも両親と海に出かけていました〜!毎年真っ黒に日焼けして、海の家で焼きそば食べて、かき氷はいちごシロップが大好きで舌が真っ赤になったなあ、子供の頃に海で一度溺れかけたなあ・・・みたいな思い出話が出てきそうだけど、実際には海岸に行くことはほとんどなかったし、したがって溺れかけたことも一度もない。いちごシロップは着色料多すぎということで買ってもらえなかった。

我が家では「海は、危ない」とされていた。君子、危うきに近づくべからず、が家訓にあったかどうかは知らないけどあらゆる危険を回避するよう日常が設定されていて、海の近くに住んでいるということは海に遊びにいくということとは無関係だった。

私の父は35年間銀行勤めで、リスク管理担当というものすごくつまらなさそうな仕事(失礼)をしていた時期もあるほどで、人生における最重要項目はリスク管理、といった感じの人だった。大人になってから父のそこはかとない面白さに気がつくことになるのだけど、子供のころはやたら厳しくて笑わないし遊んでくれないこの人は、なぜ同級生たちのフレンドリーなお父さんらと全然違うのだろうと思っていた。私たちの生活にはディズニーランドもなければ、ビーチも、キャンプもない。あるのは本と、父にバックミラーを取り付けられてうんとこさカッコ悪くなった自転車くらいだった。それが夏休みのある朝、連日のように姉と「海に行きたい!」と騒いだ成果なのか、父が「今日は海に行くよ」と言い出した。姉と二人で狂喜乱舞し、猛スピードでスクール水着の上からワンピースをかぶってトヨタのカローラに乗り込む。念願叶って父に連れて行ってもらってたどり着いた先は、海水浴客で賑わう由比ヶ浜!・・・ではなくて、海沿いにある鄙びた市営プールだった。

「パ、パパ、これ、、、、海じゃない、、、、。」

顔を見合わせる姉と私。でも連れてきてもらった手前文句も言えない。よく聞こえなかったけど、海は急に深くなって危険だし、ガラス片などで怪我をすると危ないから海沿いのプールでいいのだとか父は呟いている。黙って彼の後ろをついてすすむと、鄙びたプールサイドで号令がかかる。

「さあ準備体操するよ。きちんとストレッチをしないと、足が攣って、溺れて死ぬからね。プールでの溺死の理由の第一は、足がつることなんだ。泳げる人でも溺れるんだよ。」

そこからはラジオ体操第一と第二の流れで合計6分くらいたっぷりと、向き合った位置でストレッチ。まるで闇練をする先生と泳ぎがなかなか覚えられない落ちこぼれの生徒たちのよう。長いストレッチの後にやっと、水に入ることができるのだけど、父はプールの中をただ歩いているだけ。姉と二人、泳ぎ出してキャッキャと楽しくなってきたと思った15分後くらいにまた「帰るよ!」と2度目の号令がかかる。

「えーーー???もう????」

と思うものの、やはり反対できる空気ではないので姉と二人で濡れた体を拭いて車に戻る。父は痩せっぽっちだったので、きっとプールで寒くなったのだろうと思う。あるいはトイレに行きたかったとか。あの頃からいつもトイレに行きたい人だった。市営プールのトイレは汚そうだったから、家で入りたかったのかもしれない。

ところで当時から父は、「XXXすると死ぬよ」というのが口癖で、たくさんのホラーストーリーのレパートリーを持っていた。「そんなもの食べると肝炎で死ぬよ」というのが最頻出パターンで、例えば学生の頃、私がレバ刺しが好きだというと(20年くらい前は普通に焼肉店で提供されていた)、「気持ち悪いねそれは、肝炎で死ぬよワカメさん」と返ってくる。あるいは大人になってから中華料理屋で上海蟹なるものを食べたという話をすると「パパのお友達はね、中国に赴任していた時に上海蟹を12杯も一晩に食べてその翌年に肝炎で死んだんだよ」など。アイスクリームを食べていると必ず「心臓にあぶらがベーーっとり」と後ろから掛け声をかけられた。口の端にほんの少し微笑みを見せながら。このセリフはあまりにも言われすぎて、今では私がアイスクリームを食べている子供達に「心臓にあぶらがベーーっとりだよ」と言ってしまう。でも果たして、心臓に、あぶらなんてつくのだろうか。

いずれにせよ、そんな父だったから、「これ以上プールに入ってると体が冷えて死ぬよ」と言われると、いくら不吉な予言のように感じてもそれは従わざるを得ない指示と同じだった。姉と私は欲求不満を感じつつもトボトボと帰る。海に行くって言ったのに。

そんな父が、定年退職した後に、逗子海岸のウィンドサーフィンのスクールに入会した。きっかけはすでに就職していた私が一度会社の同僚とそのスクールでの体験に行った話を父にしたことで、その時は「溺れて死ぬよ」とかなんとか言っていたのに、次に会ったときはすでに入会していた。聞けば「ずっとやってみたかった」そうで、もう定年退職したし、娘二人も独立したし、妻は年金があるから江ノ島の沖で自分が溺れても良いと気がついたのだそうだ。スクールで溺れるってそうそうないぞ、と思ったけど「気をつけてね」と言って黙っておいた。今はもう80歳近くなって流石にやめてしまったものの、その後10年くらいは痩せっぽちの体にフィットするウェットスーツを作ったり、海上でインストラクターから撮ってもらった自分の写真を自宅の壁に飾ったりして、楽しそうな様子が無表情な中にも伝わってきた。

35年前のあの夏、父が市営プールにしか連れて行ってくれなかったのは、本当に私たちが溺れないように守ろうとしていたのだと思う。世間の基準からしたら過剰だし随所で不器用だったけど、それは彼なりの自然体だったのも理解できる。だから、定年を機に彼も自分の厳しい基準から解放されたのだとしたら、「海に行けて良かったね、パパ」と私は思う。(おそらく)ご自身もお望みの通り、父が亡くなったら遺影には海上で撮ったあの逆光の写真も使いましょう。あなたはまだ死にませんけども。

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