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"今"とは違う時が流れる銭湯 「松の湯」(千葉県 勝浦市)

松の湯図解

東京駅発、特急列車「わかしお」。窓をぼんやりと眺めながら1時間半も揺られると、千葉県の勝浦駅に到着する。勝浦はかつおと坦々麺が有名な港町だ。全国有数のかつおの水揚げ量を誇り、坦々麺は漁師さんが体を温めるために食べ始めたのが発祥と言われている。

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勝浦駅から出て、まずは町をぶらぶらと歩いてみる。町のそこかしこに坦々麺の看板があり、レトロな喫茶店の前にも坦々麺のノボリが掲げられている事に驚いた。町の中心地には蔵造りの立派な建物が並んでいる。江戸から明治頃にかけて漁業が発展し、東京方面への物資の輸送の拠点として、漁業・商業共に栄えていたそうだ。この古く味わい深い街並みは、当時の名残だろう。また、勝浦では、水曜日を除いた毎朝に朝市を実施しており、魚はもちろんのこと野菜も並び、特に夏は活気に溢れているそうだ。海と密接した暮らしがあり、海によって景色が作られ、海と共に歩んできた勝浦。この町を百年以上見守り続けてきたのが、銭湯「松の湯」だ。

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松の湯を営んでいるのは宅田久枝(たくだひさえ)さん。初代は浅草で銭湯を創業し、昭和15年に松の湯を買い取り今現在まで営業を続けている。買い取る以前の松の湯の創業年は不明だが、少なくとも大正期には営業していたようだ。浴室の改装は都度行なっているが、建物自体は創業時から変わらない。松の湯という屋号は買い取る以前からのものだ。

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松の湯は木造で二階建て。一階と二階の庇は青いトタンだ。以前は二階の窓に手すりがぐるりと廻らされていたそうだ。背後には細長い煙突。何本ものワイヤーでしっかり補強されており、先日の台風でも耐え凌ぐ事が出来た。玄関は二つあり、ここから男女分かれて中に入る。入り口にかけられた長めの暖簾を分入ると、脱衣所越しに淡い光に照らされた浴室が見えた。

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やや色褪せたタイルで構成される浴室を、昼過ぎの穏やかな光が優しく撫でている。暗い脱衣所越しに眺めると、浴室があたかもフィルム映画のように見える。そこには忙しく生きる普段の時間とは異なるゆったりとした時間が流れていた。宅田さんは裏手に行ったり番台に来たりと忙しなく動いている。邪魔にならないよう入浴料ぴったりを番台に置いて脱衣所に上がった。

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古めかしい木製のロッカーは不思議な形をしていた。漢数字の下に四角い小さな穴がぽっかり空いている。どうやら、扉を閉めると自動で施錠される古い仕組みのようだ。女湯は常連さんの荷物が入っていたので、荷物と服は丸い籠に預け、タオルを持って浴室へ。肌寒い季節になったからか、浴室は薄い湯気が充満しており、薄いガラス越しに浴室を眺めているようだ。

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手前に3列のカラン、立ちシャワー、奥に2つの浴槽とシンプルな構成だ。浅めで座りやすい浴槽と、ジェットバスがついた深めの浴槽。深さは違えど浴槽は直に繋がっているためお湯の温度は同じだ。冷えた体をシャワーで温め、頭から足の指先まで入念に体を洗い、体を浴槽に沈める。少し熱めの温度設定だが、湯触りがまろやかで不思議と苦しくない。お湯を少しかいてみると、なんだか軽い。柔らかい泉質だからこそ、熱めの温度でも心地よく感じられるのだろうか。湿った蒸気を一息吸い込み、ふぅっと息をはく。暖かさでとろんとした瞼をゆっくり開けると、湯気越しに脱衣所が見えた。

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窓の格子と窓の光のコントラスト、脱衣所の床に反射する格子の影、積み重ねられた年月を感じる調度品。重厚で、静かで、どこか浮世離れしたような美しさだ。そして改めて、松の湯にはゆっくりとした時間が流れていると感じられた。大正から続くこの空間で、営まれてきた時間と、重ね続けてきた人の思いがあるからこそ、ここに永遠のような時間を感じるのだろう。普段とは異なる時の流れで湯に身を任せていると、日々の疲れや、溜まっていた感情が全てお湯に流れていくようだった。

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松の湯を後にして、温まった体のまま海を見に行った。すっかり夕方になり、夕焼け雲がありつつも海は夜の兆しを示していた。だんだんと夜に変化していく海と空を眺めていると、どこか悲しい気持ちになる。松の湯で過ごした永遠のような変わらない時間。その余韻を自分の中に引きずっているのかもしれない。しかし、もう電車の時間だ。この穏やかな時間をずっと感じていたいと思いつつ、"今"へ戻るため駅に踵を返した。

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完成した松の湯図解、写真、エッセイは『旅の手帖1月号』(交通新聞社刊行)に掲載。

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