過客の如き旅行くもの:序

徐々に日の出が遅くなり、未だ空がほんのりと薄暗い秋の夜明け。
顔を洗い、コンタクトを入れると世界の輪郭がはっきりとしてくる。そのまま支度を済ませて荷物と共に玄関を出ると、外はすっかり朝の装いへと変化していた。時刻は六時過ぎ。

8時11分発の新幹線に乗るため、最寄駅へと歩みを進める。今日から二泊三日で金沢へ行く。
10月も下旬に差し掛かろうとしていたが、幸いにもこの三日は気温が温暖らしいので、天気予報に全てを委ねて上着は置いてきた。おかげで少し身軽だ。

東京駅へと向かう電車は、ちょうど通勤の時間と被るため、結構な混雑模様だったが、乗車駅が遠方にあるおかげで平和に座ることができた。
電車での移動中はほとんど本を読んで過ごしており、今回も例外ではない。
今回の旅のお供は、三津田信三の『首無の如き祟るもの』だ。
そうこうしているうちに東京駅に到着した。時刻は七時半。

売店にて軽食を購入し、少し早めに新幹線へと乗車をする。
本を読み進めるうちに、朝が早かったためか眠気を感じたのでしばらくの間目を閉じて欲望へと身を委ねた。
目を覚ました頃には長野県を過ぎて日本海の沿岸部を走行していた。風情あふれる海沿いの街並みを楽しみつつ、再び読書を続けていると、ついに目的地である金沢駅へと到着した。

一日目は兼六園および金沢城公園を訪れる予定だったが、まずは昼ごしらえのためにバスに乗って香林坊へと向かうことにした。
一度でも金沢を訪れればわかるが、金沢は滅茶苦茶バスが多く、市内の主要な箇所は全てバスで周ることができると言っても過言ではない。ただし、多いのは車種であり、車種ごとの本数はあまり多くないため、目的地へと向かうバスの時間は事前に調べておくことが賢明だ。また、一部のバスを除いて交通系ICを利用することができないため、小銭も用意しておきたい。基本的に市街地はほとんど210円で行くことが出来るので、駅などでお札を崩しておくと良いだろう。

今回お昼としていただくのは、金沢カレーを代表する名店の一つ『ターバンカレー総本店』のLセットカレー。

ご飯300gの中サイズ¥1,250で、ソーセージ・ハンバーグ・ロースカツが乗っておりボリューム満点の品

金沢カレー特有の濃厚なルーの味わいと、それを引き立たせる三つのトッピングが非常に美味しい。
入店時は11時半で席にもだいぶ余裕があったが、食べている間にどんどんと客が増えて満席になったため、かなりタイミングが良かった。

大ボリュームのカレーを平らげると、さすがに満腹になったので食後の運動がてら徒歩で兼六園へと向かった。
金沢市庁舎を右手に、駅前の市街地から少し離れて緑豊かで広々とした百万石通りを歩いていると、強く”金沢”を感じた。玄関口たる駅前を象徴する鼓門も印象的ではあるが、兼六園や21世紀美術館が立ち並ぶこのエリアの方が、個人的には「金沢らしさ」をより感じる。

通りを10分ほど進むと、最初の目的地である兼六園の真弓坂口が見えてきた。

21位世紀美術館が近いので、多分利用者も多いはずだ

広大な敷地の兼六園、入場口は7箇所あり、どこから入るかで最初に見える景色も全く違ったものになるため、受ける印象も人によって異なる。
それぞれ趣を異にする六つの景観を兼ね備えた庭園だけあって、園内でさまざまな景色を楽しむことができる上、どこから見るかによって同時に視覚に入る景色の組み合わせも無数にある。極まった兼六園愛好家たちの間では、それぞれ独自のコンボやTier表が存在するのかもしれない。ちなみに今回採用した戦術は、霞ヶ池を中心に園内をくまなく散策する、ベーシックな霞ヶ池コントロールだ。時間がない人向けの速攻戦術としては、小立野口から辰巳用水の流れに沿って霞ヶ池・瓢池を巡って真弓坂口から出る曲水アグロがおすすめだ。

およそ一時間半ほど気の済むまで園内をし終えると、桂坂口から兼六園を後にして、隣の金沢城公園へと向かった。
とにかく敷地が広いこの公園では、実際の金沢城に用いられたとされるさまざまな石垣を見ることができる。見た目に振っていたり、内側から鉄砲を撃てるよう工夫されていたりと、兼六園もそうだが前田家はとことん作り込むタチのようだ。
園内は今年の年明けに発生した地震の影響で通行できない箇所がいくつかあり、何度か迂回しつつ加賀百万石の重みを身体で感じた。

大手門口から見た金沢城跡

これまた景観の良い玉泉院丸庭園などを巡り、最終的に大手門口から出た。次なる目的地は三茶屋街のひとつ、主計町茶屋街である。
地図を確認すると、ほとんど道なりに真っ直ぐ進めば辿り着きそうだったので、地図を閉じて住宅街を眺めながら歩いた。
いくつかマンションが建ち並ぶ中、時折姿を見せる昔ながらの和風建築の家屋に趣を感じながら進んでいくと、突き当たりである新町・鏡花通りまで来た。
あとはここを右に曲がって浅野川の方面へ向かえば主計町茶屋街の周辺だ、徐々に昔を感じさせる街並みへと変化していく景色に高揚感を抱きながら歩みを進めると、「泉鏡花記念館」の看板が目に入った。
泉鏡花の作品は恐らく読んだことは無いが、時間に余裕があったこともあり、これも良い機会だと立ち寄ることにした。

他の偉人の記念館の例に漏れず、生家跡に建てられたコンパクトな造りの文学館で、道路側の入り口から少し奥まった場所に位置しているのが何とも隠れ家のようで心躍る。
館内は泉鏡花の生涯を記した年表やゆかりの品などが数多く展示してあり、かなり充実した内容であった。
併設されているミニシアターやグッズショップなどを含め一通り回り終えると45分ほど経過し、時刻はちょうど3時を過ぎるくらいだ。

記念館を出てすぐ、浅野川大橋手前の左に見える小路に立っている看板を見ると「主計町茶屋街」と書いてある。どうやらここが本日最後の目的地らしい。

浅野川沿いに建ち並ぶ木造茶屋と街灯が印象的だが、3時過ぎのこの時間は静かな場所であった。のちに調べると、夜からがこの茶屋街の本領発揮だったらしい。
それでも街並み自体は美しいものだったので、特に店内に入らずにしばらく散歩していた。

特にすることもなく、歩き疲れたこともあり、3時半ごろには主計町茶屋街を出て南町のホテルへと向かうことにした。およそ1キロほどの距離なのでバスも徒歩も大差ないだろうということで、歩いて行くことにした。

近江町市場を抜けて香林坊方面へと歩くこと数分、この三日間の旅の拠点へと辿り着いた。
今回宿泊するホテルはそこそこ評価が高かったこともあって当日のチェックインも驚くほどスムーズであった。事前に送られてきたメールのリンクから必要事項を入力して事前チェックインを済ませた状態で、当日はレセプションのQRコードを読み込むだけで完了だ。部屋の鍵は暗証番号方式なので受け渡しの手間もなく、物理的な鍵を持つ必要も無い。その分不在時のリスクは高いが、外出時は貴重品を持って出ることがほとんどなのでさして問題にならないだろう。

手続きを終えて部屋に入室し、一人で使うには贅沢な大きさのクイーンサイズのベッドに腰かけながら今日の夜は何を食べるか近くの店を調べた。
このホテルが位置する南町は、金沢の中でも繁華街に近い位置なので選択肢も豊富だ。生来の気質が優柔不断なこともあり、悩みに悩んだ結果、ホテルからやや近い場所にある新しめの居酒屋に決めた。
見たところ海鮮系のメニューが充実しており、加賀料理もいくつか揃っているため、我ながら良い選択ではないだろうか。

大通りから脇道に入って少しすると、一気に生活感のある住宅街へと景色が変わる。その土地の飾り気のない空気感を味わうのもまた旅の醍醐味だ。
5分ほど歩くと目的の店に到着した。半地下のなかなか雰囲気の良いところだ。

半ば儀式のような形でとりあえずビールを注文する。特に好きなわけではないのだが、まずはこれを飲まなければ落ち着かない身体になってしまった。これもある意味では成長と呼ぶのかもしれない。
一人旅は自由で気楽なのは良いが、こういった店では胃袋のキャパシティ的に品数が多く頼めないのは難点である。

90分ほど豪遊したのち、部屋で飲むぶんの追加の酒を買ってホテルへと帰還した。いつもの缶の酒も、旅先のホテルで飲むと心なしか五割増おいしくいただける。

更なる酒を飲み尽くし、シャワーを浴びて床に着くと、朝が早くあちこち歩き回って疲れたおかげか、驚くほど深い眠りへと落ちた。

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